2018年5月9日掲載

議員は職業か、ボランティアか?

—「先生」と呼ばれる地方議員—

 かつて「先生」と呼ばれるのは、医者と学校の教師と弁護士と聞いたことがある。

 それがいつの間にか、国会議員も地方議員もその仲間入りをしている。またそう呼ばれないと不機嫌になるという声もある。人から敬われる存在が先生だ。とすると議員は敬われていることになるのだが、どうだろうか。

—議員のなり手がいないから—

 地方議員年金制度は2011年に廃止されている。2004年に国会議員の国民年金未納問題が発覚して、2006年に議員年金を廃止し、11年に地方議員も続いた。

 地方議員は平成の自治体大合併で市町村数が減り、掛け金を納める議員数が減ったことで積立金が底をつくことが要因だった。

 それをいま自民党が復活させようとしている。16年に全国都道府県議長会は、地方議員のなり手がいなくなったので地方議員年金の復活を求めるよう決議している。

 昨年に国民年金の受給資格が納付10年に短縮された折に、自民、公明党は厚生年金への加入案が浮上し、地方議員を自治体職員とみなすとした。

 今いる地方議員3万3千人が加入すると自治体保険料は200億円生じる。

—考えるべきは議員の立場—

 自民党の小泉進次郎議員は「地方議員のなり手がいないことで復活するのは国民の理解が得られない。反対だ。」といっている。

 そもそも議員とは国民の代理、代表として政治参加しているはずだ。それがどうだ。いまは国も地方も行政の監督、監視をすべき立場を忘れている。官僚に質問原稿を書かせ、官僚の進めたい方向の質問を請け負って、次の選挙の実績づくりに狂奔している。これが選ばれた選良すなわちエリートといえるのか。官僚の走狗ではないか。

 それに税金で年金を与えるほど国民は豊かではない。議員は片手間でよいのだ。普段は牛乳屋、魚屋、サラリーマンなどをしながら議員を務めればよい。それには活動する環境、場所、時間などを工夫して、生活の糧を得る職業とボランティアの政治を両立させる工夫をすればよいのだ。それにこそ頭を使い、国民も参加して国も地方も議員のあり方改革を急ぐことが大切だ。甘えるな議員。

2018年5月7日 記