2019年2月4日掲載

秘すれば花は時代遅れ?

—露出の味気無さ—

 『花伝書—風姿花伝—』で世阿弥は「技芸というものは、すべて表に出さず秘しておく部分、隠しておくところがあって初めて生きてくる」と言っている。人物評でも奥ゆかしい、ということか。

 また谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』にいう障子を透かしての明るさなどと共通している感覚で、日本人の直接ではなく間接表現の妙といえる。

—SNSの恐ろしさ—

 最近、愛知県の中学生の男女が顔見知りの女子中学生の自画像で裸の写真をSNSで拡散した事件。警察は二人を書類送検した。このニュースに接し、被害者といえる女子中学生が自らの裸像を提供した愚かさ、それと同時にかねてから怨みを持っていた女子中学生がそれを拡散させたという愚挙に呆れる。この裏には他人に見せて自己確認したいという本能がうかがいしれる。

 食堂で注文した料理をスマホで撮って、フエイスブックにのせる場面にぶつかることが珍しくない。知って欲しいということだろうが、それを悪用される恐ろしさも多い。自分の内臓、心の内側まで表出したいという願望にまで進行しつつある現状は、自己満足のために他人を傷つける、時に自分が傷つけられることと重なることを自覚しなければならない。秘すれば花の一面を残しておく余裕が出れば、その人間が奥行きのある品格のある形に発育するように思うのだが。

2019年2月6日 記