2019年6月9日掲載

議員バッヂを転売する神経!?

 6月3日のNHKのニュースは、葛飾区議会議員のバッヂが売りに出されていると伝えています。別に驚くことではない。勲章も売りに出される時代。議員バッヂが売り買いされるほど価値があるかどうかは、買うほうの問題だ。NHKが取り上げた理由は議員の象徴が売りに出されているのは嘆かわしい、議員の価値も下がったものだ、という観点からなのであろう。

—議員の地位・立場をどう考えるか—

 議員は資格だ。選挙で民意が支持しなければその立場にはつけない。だから選挙の法律は公正であるべく、厳しく規定されている。だがバッヂが地位をつくるわけではない。神社のお札のように身につければ変身出来るものでもない。バッヂを着けていなければ議員ではない、というのならというのなら選挙はなんの役を果たすのか。バッヂを着けなくても議員は議員である。友人と居酒屋に入る時にバッヂをはずすのをしばしばみた。なぜはずすのかとは誰も聞かなかったが、自分は居酒屋に入るほど地位が低くないので隠密裏に客となるのだという振る舞いにとれた。このように体裁を取り繕うほど自意識が強いのが議員族といえる。

—バッヂなど形式の極み、廃止すべき—

 かつて議員バッヂを廃止する動きが国会であった。2006年1月に自民党の太田誠一党改革実行本部長が派閥の例会で国会改革提言に盛り込む考えを示したのだ。「バッヂを着けているのは、韓国と日本ぐらいだ。バッヂを着けて威張るのは品位がない」と言い切っている。この主張は私が議員生活を通じて実行してきたバッヂを着けない議員に近づいた。しかし実行されず今日にいたる。

—水前寺清子の心意気は!—

 以上のことからバッヂが議員を作るのではなく、バッヂを着けずとも議員であることに違いないのであるから廃止すべきなのだ。そうすれば売り買いの市場に出てくることもない。太田代議士の「バッヂ要不要論議」から随分と経った。しかし遅々として改革は進まずバッヂより内容の面で劣化した議員の品性を欠いた諸行為が物議を醸している。NHKの報道目的を知りたい。バッヂ無用論の立場なのか。ただただ面白さと議員を皮肉っているだけなのか。

 かつて有名デパートの包装紙にこだわっていた人間たちがいまだに見てくれ表面に価値をおく見方を変えられずにいる。ブランド品が評価され、偽物がでているのが当たり前の現在、使い勝手や実質で生活を築く生き方はまだ生活に繋がっていないのか。『人は表面が90%』などという本が売られている現代。♪ボロは着てても心は錦♪という水前寺清子の出番は当分来そうもない。

2019年6月6日 記