2025年11月29日掲載
生きている限り原因が結果を生むと考えていきたい
私の半世紀まえに、区議になってから読んだ講談社の本に、「トイレットからの発想」がある。結果からさかのぼって、原因までたどる考え方である。帰納法である。私はこの考え方を生かして政治活動をしてきたような気がする。
最近になって、NHKのラジオ深夜便で、南極越冬隊に管理栄養士として参加した人が、帰ってきてからの一年間で使ったテッシュがたった一枚と言っていた。南極で環境を考えて物を控えて使うとこんな生活ぶりになるのだろう。自分の生活を考えさせられた。食べ終わったもの、使い終わったものなど、この最後までの処理に責任を持てる人間にならなければならないだろう。
たとえば議員になってすぐに下水処理場を視察した。ゴミ焼却場とおなじで、生きている人間の使い古しがすべて行きつくところである。人糞はもとより雨水までここ再生される。海に流され海から蒸発して雨となり、生物に供される。この循環が地球でもある。何億年となく繰り返して今日がある。この営みからすると現代の原子力やインターネットという技術は異次元である。原子力もインターネットも一方通行で循環していない。いうならば原子力もインターネットも非自然、非人間的な存在である。そこでいま原子力の廃炉が、インターネットのSNSが主人公である人間に難問を投げかけてきている。原因はわれわれの住む進みすぎた世界が人間を悩ましているということだ。人間は自らに反省を求めなければならない。突き放していえば「身から出た錆」である。
2025年11月19日 記
