2021年4月29日掲載

北島義彦さんと前回の東京オリンピック招致のこと

 今から半世紀以上前であるが、東京にオリンピック、をという声が体操、体育関係者はもとより国民からも盛り上がった。戦後の国際社会に復帰した証として政府も乗り気だった。

 東名高速道路が、当時の河野一郎建設大臣のもと、突貫工事で完成された。そんな時北区の北島義彦という政治家でかつ体操関係者が、オリンピック招致に大いに貢献した。彼は国際オリンピック委員会に出席し、東京招致に成功し帰国。羽田から病院に直行したが亡くなってしまった。まさにオリンピックに命を懸けたといえる。オリンピック・ゲームには劇的な物語がつきものであるが、招致にも感動があったのだ。いま北区民で記憶にとどめている人はどれほどいるだろうか。

 水を飲むときは井戸を掘った人を思え、という格言がある。わが町のオリンピックにまつわる話であるが、私はいつも思い出している。合掌。

2021年4月23日 記