2026年3月3日掲載

トランプ大統領らの権力行使と政治の言説

 アメリカのトランプ大統領がわがまま一杯に振舞っているのは、ひとえにその個人的な性格から来るものといえよう。独善ともいえる自己過信に基づくものである。中国、北朝鮮の指導者は論外である。問題なのは、世界は時代とともに自由に、平等に向かっては進まないということである。二度の世界大戦をきっかけに世界平和が唱えられ、国連も創られた。しかし、この機関もいつかマンネリ化してしまう。調整機能を失ってしまった。いまはトランプ大統領、プーチン大統領、習国家主席などその国の要素や背景をもとに自分本位で行動している。要素とは国民の数、国の広さ、経済の規模などである。物理的な数量をもって大国といわれる。

権力者の権力観

 民主主義とは個人ではなく国民という個人が集合した存在に価値を置く仕組みである。例に挙げた3人は警察、軍事などの権力を使って、個人の命、権利、尊厳までも剥奪する。私が学んだシカゴ大学の政治学者で、政治学界にシカゴ学派という一派を残したメリアムは、政治権力の有り様に二つを挙げている。クレデンダとミランダである。象徴操作と感情操作である。彼らの行動は、メリアムの政治権力の範疇を越えた乱暴な行動である。政治学では解析できない直接行動であって、ある意味で暴力行動と言える。いま世界中の政治学者がトランプ、プーチン、習という三権力者の行動に対し、民主主義の立場では非難、批評すべき言葉がないのはなぜなのか。

権力の履き違えが世界に広がる

 政治という現実の前では、学問、理論は無力なのだろうか。学問とは言説、理論であり教室、研究室の世界でのみ通用するか弱いものであるということなのだろうか。トランプ大統領の税制の個人解釈に連邦最高裁の大統領権限を逸脱しているという違憲判断にも、かえって反発の政策を打ち出す強引さに、あきれ返る。この傲慢な大統領は、アメリカはもとより世界を振り回して我がもの顔である。トランプ大統領を選び出したアメリカ国民の民主主義の成熟度に首をかしげざるを得ない。このトランプ大統領にすりよって、得意満面であった高市総理も同じ体質の指導者でなければよいが、という不安もある。

2026年2月27日 記