2013年9月28日掲載
露伴、子規、白秋の首都論、都市論をまとめました!
9月25日が締切の大学の紀要(論文などをまとめたもの)に、『幸田露伴の『一国の首都』研究』を提出しました。そのことをお話しします。露伴のこの本は首都すなわち東京の首都としてあるべき姿を、江戸っ子の旧幕臣の家系の露伴が明治政府の東京づくりへの注文を書いたものです。
世界に通用する都民の心構え、自覚、江戸っ子精神から説きはじめ高層建物、未舗装道路への負担の多く人力車、馬車の車輪の広さによって税金をかけるとか、衛生上から公衆浴場の温度の取り決めなど、微細なことまで示していて、との関係でしばらく前の人達はこれをテキストに勉強会を持ったといわれる古典です。
明治32年に出版された文語調の文章を私が現代語訳したものです。
この露伴の本を訳しているうちに、正岡子規が明治32年に新聞「日本」に書いた『四百年後の東京』という記事に行き当たりました。お茶の水周辺と東京湾の四百年後を書いています。橋が3本通っていて、エレベーターが通り、神田川の両岸に店ができて、ニコライ堂も残っている、と描いています。
東京湾も埋め立てがすすみ、船が水を売ったり、魚を売ったりする専門船があったり、病院船があったり、湾が海上都市になっていて房総も見える、となっています。
また詩人の北原白秋は故郷の福岡県柳河(旧名:現 柳川市)を日本の首都にするべきといった論文を地元紙に載せていたりしているので三文人の首都、都市論としてまとめてみました。日本の揺籃期の明治の露伴、子規、白秋の江戸幕府から続いた藩、故郷への自我同一性(アイデンティティ)の強さが共通しています。そんなことを研究ノートの形で原稿用紙60枚にまとめてみました。
できれば将来、三文人の郷土愛、母国愛と国の活力などについてさらに深めてみたいと思います。
明治期のことは司馬遼太郎の一手販売のような観がありますが、興味深い話や資料がまだまだあります。
よろしければお招きいただき、露伴、子規、白秋の首都論、都市論、人柄までお話合いしませんか。御希望があれば参上します。
2013年9月26日 記