2020年9月10日掲載
朝の思索
牛にひかれて善光寺参り、ではなく犬にひかれて朝歩きと言ったらいいと思っている。朝3時半、我が愛犬雪見嬢は大きな目を見開いて私の寝ぼけ顔が来るのを待っている。何を期待しているかはわかっているが、私はまずやることがある。
湯を沸かして今日一日分のコ—ヒーを淹れる。15分はかかる。見上げて催促する雪見。もちろん待たせる。それから水を十分に吸った布を着せて(自家製クールコート)、糞入れと水をもって出発。4時だ。
見上げる空は、今日、9月5日の月は満月のよう。街灯だけが明るく道には誰もいない。大きな通りがないのでトラックなどの大きな音はしない。時々バイクが右、左に小刻みに止まってポストに新聞を入れている。おはようございます、と声をかける。挨拶を返してくる。静かだ。雪見は、ハアハアと息をしながらどんどん行く。
しばらく前は豆腐屋も湯気を出して大豆を蒸かしていた。朝、働く人に悪人はいないと思い続けて来た。何よりも夜遊びが出来ない。起きる時間が決められて、体を使って動かなければならないとすれば、早寝にならざるを得ない。4時40分、まだ人に会わない。車も来ない。雪見はその間に小を4回、大を2回,量も十分。ハアハアは変わらない。「もう限界!」とばかりに寝そべってしまう。濡れた布を脱がして抱き上げ、7キロの重さを運ぶ。暑さに弱い犬だ。大をするときは後ろ脚の間に紙を置いて道路に落とさないようにしている。抱き上げてから家に帰るまでの20分間に、今やっている翻訳のエーリック・ ホッファーとメリアムの関係、9月の俳句の暗唱、土器ひそむ丘密集の曼珠沙華・欣一、木犀の天に架けたき鉄梯子・ゆう子の二句、剣道の右足の使い方、そして今日やることなどを考えながら雪見のリードを操る。そろそろ5時ごろ歩く人に出会うようになる。小声で朝のあいさつ。これが心地よい。朝、夕2回の犬の散歩、これが日常である。おおむね1時間、朝の誰にも会わないこの時間を年間通じて持てるのは宝だ。雪見に感謝すべきで決して彼女をお荷物とは思っていない。朝は賢い。今日も励もうという気になる私の大切な儀式である。
2020年9月7日 記