2020年10月4日掲載
さて、本阿弥光悦に手を付けるか。
今手掛けているメリアムは大方出来上がってきた。少しの訂正はあっても良しとしよう。
今後たぶん私の最後の仕事になる本阿弥光悦の第2弾である。前回は「三巻ある行状記のうち、一巻だけを現代語訳して行状記というのは誠意のない仕事」と指摘して、三巻すべてを訳し終えた。
今回の仕事は、三百八十段ある事項を、私が国立国会図書館分類表に基づいて分類したそれぞれのまとめに沿って行状記を解剖したらどうなるか、ということである。文京学院大学の社会人講座の時に五回に分けてお話しをしたメモ書きを基に本にしようとしている。
いま言えることは行状記の二巻、三巻は井原西鶴の地方の逸話、伝承をまとめた西鶴物語のような感じともいえる。
本阿弥家は刀の鑑定、研ぎなど地味な仕事をする稼業であるのに今川義元、信長、秀吉、家康とかかわってきた家柄である。光悦は自分の家職である刀を基盤として茶碗、書、工芸、庭造りなどに発展させている。着想がひとところに留まらずに成長、進化していく光悦。人間として宗教を大切にし、朝廷を中心にした価値観を持つなかで発言、行動する光悦を捕まえたいと思う。このコーナーに「あっちこっち、光悦」欄を設けて、歩きながら雑談をしつつ皆さんとそぞろ歩きをしはじめようと思う。少し長い散歩になるかもしれません。読んだ後の感想もお待ちします。
2020年10月4日 記