2018年11月22日掲載

スー・チー氏ができること、できないこと?

 私が応援してきたビルマの民主化が実態として進行してきているのか。

 ビルマは1962年に軍事政権がはじまり、88年に学生など市民の民主化運動が起こった。これにスー・チー氏が参加して国民の期待のもと、国民民主同盟の結成となった。国軍はこれを弾圧し、多くの学生をはじめとした市民が国外へ脱出した。スー・チー氏も3回、15年に渡って自宅軟禁された。この時に私も自宅へ行って取材をしている。軍事政権はノーベル平和賞を受けたスー・チー氏を応援し、民政移管を決定し、2015年に総選挙も実施した。圧勝した国民民主連盟は16年3月に文民政権を発足させ、スー・チー氏は国家顧問と外相に就任した。

—スー・チー氏の功績と停滞—

 スー・チー氏はそれまでの国際世論を味方にして米国のそれまで取っていた経済制裁を解除させた。

 わが国も同調して経済支援を始めていた。

 17年8月に西部ラカイン州で、イスラム教徒の少数民族・ロヒンギャ武装勢力が警察施設を襲撃したことをきっかけに国軍が掃討作戦を行なった。ロヒンギャ民族が殺人、強姦、放火の迫害を受けた。70万人が隣国バングラデシュに逃れた。

 仏教勢力の多いビルマはラカイニ州のイスラム教徒の多くロヒンギャに国籍を与えてこなかった問題が、国際的に非難される原因となっていき、さらにスー・チー氏は国軍を批判せず、国籍も与えようと決断してこなかった。経済は外国の協力を取り付けて海外投資を増やすことに成功したが、国内の民族、人権問題には消極的と海外からは受けとめられている。

—国連を敵に回すのか—

 ビルマは旧憲法がそのまま残っている。そこでは国会の1/4が国軍に無選挙で与えられる。国民民主同盟は憲法改正を唱えるが、この1/4という数の協力がないと改正も難しい。そこにスー・チー氏の遠慮、配慮がうかがえる。現実政治の困難さである。先の迫害問題で国連は動いた。この9月に国連人権理事会に国際調査団は、国軍主導の民族大虐殺に当たる可能性も指摘し、国際刑事裁判所も予備調査を始めると表明している。ビルマ政府も7月に調査委員会を設置したとして反発している。

 国内の国軍、海外の国連、この狭間で現実政治家としてのスー・チー氏の力が試されている。

2018年10月16日 記