2012年5月30日掲載
第11回
さて下院議員スー・チーさんの外交がはじまりました。議員として出国するのです。かつては軍事政権が病気の夫のいる英国へ行けば再入国させない方針でしたから、夫の死に目にも会えませんでした。
日本にいると理解できないその国その国の事情があるのが国際社会です。
一年に1千万人近く海外へ行っているはずの日本人に国際意識が薄いのも教育と経験の甘さです。
スー・チー下院議員はどしどし経験をつんでもらって現実の厳しさを知ったうえで理想であるビルマの国造りに努力してほしいのです。話を戻します。
―民主党とスー・チー下院議員―
民主党が結党されるときの結党大会にスー・チーさんから民主党に向けて期待するメッセージをビデオで撮って映し出しました。短いものでしたが、自宅に、私が訪ねて撮ってきました。おなじ民主勢力という共通点もあり、すすんで協力していただけたのです。
その時も自宅軟禁中でした。ODAを出し続けていた自民党政権への批判があったのかもしれません。
―鳩山代表とスー・チー下院議員―
鳩山さんが党代表の時、本部でスー・チーさんと電話会談をしました。
アセアン諸国ともギクシャクしていたビルマに新しい刺激を与え民主化を急ぐための電話でした。
私はその時の仲立ちを務めました。スー・チーさんの自宅に電話をして私が経緯を説明し、次に鳩山さんにかわり15分ぐらいの会話をしました。
その時も日本政府のODAの考え方に疑問を持っていました。
スー・チー下院議員の対話という中身は一貫してビルマの民主化にODAは生かされていないことを主張し続けてきていました。振り返ればテイン・セイン政権も完全な民主化ではないまでも準民主化政権として容認したので今回の補欠選挙も出馬したのです。
―これからのスー・チー下院議員―
いままでは亡父アウン・サン将軍への期待をそのまま民主化指導者スー・チーさんへ結びつけていたのがビルマ国民でした。いまは現実の政治家となり、所得格差のあるビルマの国民生活に立て直しを急ぎます。
そのためには嫌な妥協も必要となるかもしれません。政治の現場でどうしたらビルマと国際社会にスー・チーさんの描いた政治を行えるのかが問われます。
高齢化が進んでいるNLD(国民民主連盟)の若返りができるのかも鍵となります。
2012年5月30日 記