2018年7月18日掲載

役割を忘れさせる社会

—自分だからできること—

 横浜の病院で看護師が、点滴に洗剤を入れて殺そうとし、何人かを殺した事件。猟奇、おぞましい気持にさせた。生命を託している病院関係者が患者を殺していたということはどう解釈すべきなのか。

 教師は教育、警察官は治安、政治家は平和、経営者は利益。それぞれそのために存在している。それが教師が暴力、警察官が盗み、政治家が戦争を教えたり、目指したら、世の中は終ってしまう。しかし、そうなりつつあるのが、いまのわが国なのである。

—「らしさ」は必要な生き方—

 今は昔と違う、といって古いしきたり、やり方を否定することで現代は成り立っている。否定が目的となったといってもよい。その結果が看護師の殺人、警察官の泥棒、教師の盗撮などという結果になる。教師は教師らしく、警察官、政治家は「らしく」生きる、すなわちそれを否定する生き方を、現代という時代が求めているのだ。「らしさ」すなわちその役割を否定し、珍奇で、ありえない役割を知らず知らずに果たしはじめた現代人。それは現代という変化のみを要求する時代に押し流された末路である。

—役割を自覚して自分づくり—

 世界で一人しかいない自分を、自分としてどう生きるのかという覚悟を持つことでしか、この時代の激流に抗することはできない。他人を意識し、外界からの影響を受け止めるだけの、もぬけの殻の自分であってはならない。「らしさ」を古いもの、捨て去るべき姿としている現代に同調しない自分をつくる、つくろうとすることで自分を大切にする誇りや生活感が持てる。

 自分以上の自分にならぬ現実を知って、自分だから自分にしかできない役割を求めている人生が必要である。遅いことはない。気づいた今日から自分づくりを始めたい。

2018年7月13日 記