2019年8月10日掲載

オリン・パラリンピックの開催期間の熱さ

—杞憂に終わればよいが—

 東京は連日35度を超す。室内でクーラーを使わない高齢者が何人も熱中症で亡くなる。事件ではなく現象となった。思えば昨年もこれほどひどくはないが、酷暑が続き熱中症で亡くなる人がいた。私が思うのは、森林破壊などの自然環境の変化に加えて地球そのものの宇宙での変化があるのではないか、と素人判断しているということだ。まあこれは物理学者、気候研究学者にまかせることになる。さて、この天候が来年続いたらどうなるか、ということ。

—オリン・パラリンピックどころではない—

 世界の平和、人類の健康を賛美する二つの世界大会は、競う中で和を求める哲学的行事でもある。与えられた場は平等の中で競うことに意味がある。来年に向けてマラソンは朝7時開始を6時にしたという。そんな小手先の手直しで大丈夫なのか。東京、日本全体がフライパンの上にある状況なのだ。観る人、支える人、競技するひと、それぞれが満足できる舞台が整えられれば記憶に残る大会になり、世界に平和が確認出来るようになる。

 思えば前回のオリンピックは10月だった。秋日和の青空が印象に残っている。なぜ今回は7月になったのか。梅雨も上がらず、上がればこの熱さ。もしこの熱さが続けば、世界中の非難が、東京、日本に集中するだろう。生命に関わる問題になるに違いない。招致することにのみ注意がいっていて、開催期間は気にしなかったのだろうか。

 今年の暑さは以上のようなことを想像しつつ熱さのなかで心配している私である。

 東京五輪そのものが国際問題にならなければよいが…。

2019年8月6日 記