2020年1月29日掲載

ゆきすぎた自由と教育機能の崩壊

 ゲームを行う時間は平日60分、休日は90分以内、スマートフォンは中3まで午後の9時、高校生などは午後10時までと香川県議会が条例で決めようとして話題になっている。保護者に努力義務をもとめるのが事案である。実施すればわが国では初めてである。まさにニュースである。賛否が沸き上がっている。

 町や県で決めなければならないほどに、各人、各家庭で自律する力がなくなってきているということだ。自分の子どもには親が責任を持つという当たり前が通用しなくなったと言う当世である。

ー時代は、自由と楽な方に流れていくー

 人間の歴史は束縛から自由へと進んできた。我が国の士農工商、西欧の貴族制度などが好例だ。それを打ち破るために革命で血が流されてきて、職業選択、表現の自由が保障されてきた。

 歩行や馬の代わりに機関車が発明され、飛行機や新幹線につながってきた。楽を手に入れたのだ。寿命も並行してして伸びてきて快楽も味わえるようになった。だがこの進行には歯止めがかからない。原子爆弾、化学兵器にまで手を染めた。自由の行きつく先は公営賭博を認めたり、実質的な買売春を見逃したりして現代がある。

 人間の品性は自由と楽が満たされるのと反比例して下劣になっていく。論語はもう古い。衣食足りて礼節を知るのではなくて、衣食足りすぎて礼節を欠く、である。

 香川県の条例問題を1つの例として日本中に子どもとゲームの問題があり、それに我が国は介入するようになった。

 親、家庭の教育機能は消失して、寝泊まりを同じくする異年齢集団となった。各人、各家庭が人らしさ、わが家庭らしさをそれぞれ自分たちで考え、求める時だといえる。学校ですら先生に教育機能を求めることが出来なくなってきていると、私は思っている。

2020年1月25日 記