2021年1月15日掲載

お笑い社会の不安

 国が、そして東京都が、いくら非常事態宣言を出しても、住民が町へ出て楽しむ回数はそれほど減らない。テレビも新聞もそう報じている。こんな緊張感のない国民はいない。日々緊張感の中で暮らしている北朝鮮や中国は、国や上からの指示、命令が徹底される。恐怖が裏側にあるからであろう。政治の圧力は警察力の圧力でもある。日本もかつて、おいコラ、と言って警官が職務質問することが常態だった時期があった。世の中は暗かった。

今はどうだろう。テレビの主流は芸能人だ。それも「お笑い芸人」とかいう触れ込みである。

—笑点が嫌いになったわけ—

かつて「笑点」という人気番組をよく見ていた。当意即妙の頓智の応酬で軽い笑いで好ましい番組であった。いつの頃か嫌いになった。見なくなった。当時、「笑点」の司会をしていたのは桂歌丸さんであった。先の戦争で歌丸さんは、疎開で栃木県に行き、たまたま私の知り合いのクラスに入った。当時から、彼は真面目ではあったが休み時間に、小話をして仲間を笑わせる人気者であったそうな。その司会者の歌丸さんを、「笑点」の出演者の落語家は,ハゲ、死にそこない、などと口汚く笑いものにし始めた。そして今の円楽がきわめての、演技とは思えない罵倒ともいえる言辞を使い始めた。大学卒というのだが知性のかけらもない。さすがに歌丸さんも渋面した。そんな場面をしばしば見るようになって、子どものテレビを見る時間帯に人をいたぶるような、いじめともいえる番組にはとても付き合えないということで、「笑点」は見なくなった。

—日本中に緊張感はなくなった—

 今、コロナと国民は真剣に向き合わなければならない時だ。だがこの緊張感の無さはどこから来るのか。かつて、平和でゆったりした日本を昭和元禄と呼んだのは福田総理大臣だった。それとは違った、緩み切った真面目に物事を考えない国民が多くなった、と言えよう。
 自分だけはコロナにかからない。他人事の世界の中で暮らしている人々が多くなった、ということだ。自分の勤める食品会社の大きな冷蔵庫に入っている自分を写して、他人に送る。一緒に笑う。自分を道化させて笑いを共有しようとする。そこに倫理観、礼儀などはみじんもない。笑って全て済ませる。そこからはコロナに真面目に向き合うという姿勢はない。お笑い社会が、日本国民からコロナの恐怖と面と向かって、向き合う真摯な姿勢を失念させたのだろう。
 お笑い社会に暮らす人々は,笑いながらコロナから死を受け取ることになるだろう。

2021年1月14日 記