2021年1月24日掲載

お手洗いからの発想

—因果応報でなく果因応報もよい考え方—

 朝、犬を散歩に連れて歩く。この町では、月,木が可燃ごみの収集日。整然とネットで覆われているものもあれば前の晩からネットも被せず、カラスが食い散らかしているものもある。自治会などのまとまりのあるところかどうかはすぐわかる。このゴミは収集して

清掃工場で燃やす。それも残ったものは東京湾の埋め立てに使う。東京の歴史は、徳川家康の時代から、東京湾の埋め立てからはじまる。

 さて、学生時代、『逆さ日本史』という本があった。それは國學院大學の文学博士 樋口清之さんの本。現代から時代をさかのぼっていく記述である。要するに、結果から原因を求める発想である。これで随分と日本史が理解できたのと、他の事柄にも応用して勉強になった。上記の埋め立てのように今の現象に目をむけるだけでなく、その原因に深く観察力を働かせることである。また目の前の豪華な御馳走が、数時間後にはお手洗いの排泄物となっていると考えるということ。このように先のことを考えると、夢の無いことにはなる。しかし、意識を切り離してこの現実を考えるように慣れることで、結果を想定して原因となる種を植える、そうすれば今をどう生きるかにつながってくる。しきりに言われている終末対策も全く逆さ発想そのものである。

 良く使われる因果応報は宗教語である。その逆をいって、帰納的に果因を考えるのも面白い生き方である。

2021年1月22日 記