2021年2月7日掲載

オルテガの『大衆の反逆』をもう一度

 フロイドの『自由からの逃走』やオルテガの『大衆の反逆』は社会学の領域で扱うが、わたしは政治学的な要素からこれらを何十年も繰り返し読んできた。わたしの古典の書である。多くの思索のヒントを与えてもらっている。ここにきてまた熟読する機会が来た。

 それはロシアのプーチン大統領のもとでの反体制の活動家の逮捕、アメリカのトランプ元大統領のアメリカの自由主義を覆す孤立主義、中国の習体制の香港の弾圧そして極まったのはビルマの軍事政権のフライン国軍司令官が起こしたクーデターを総括するためである。

 長い間、世界には当たり前に存在していた階級社会。その階級社会は産業革命によってもたらされた経済変化によって崩れていった。すなわち階級の呪縛から解き放たれた民衆は町にくりだし、「大衆」という存在を形成したのである。「大衆」というのは量的に把握される民衆である。オルテガはスペインの哲学者であるが、大衆を見下したり、決して高いところから蔑視してはいない。ただ過去の歴史を理解しようとせず、ただ現状に不満を持ち、解決の方途を自らは求めない集団とみなした。わたしも彼と全く同感である。

 このオルテガの見方からすると今あげた世界の指導者そのものが「大衆」と言える。

 指導者たるものの資格は、過去から学び大衆と対話をし、決して階級社会につきものであった理不尽な威圧を与えない辛抱強い人間である。なによりも歴史から学ぶ賢さが求められる。つくづく歴史は跛行するものだと思う。まるでお神輿の渡御のように右に、左に、前に後ろに動く。真っすぐにだけは行かない。この苛立ちと根気よく付き合っていく良識が今こそ求められる時だ。プーチン大統領、トランプ元大統領、習主席、フライン司令官はまず自国の歴史を読みなおし、国民の幸せのために自分のすべてを捧げることを謙虚に確認することである。わたしたちは歴史を巻き戻させてはならない。

2021年2月6日 記