2018年6月15日掲載

目黒区の5歳児の虐待死で親を考える!

 いまの世の中で、資格というと差別だ、という声がすぐ聞こえる。資格という区別を取り入れることの困難さが、差別すなわち後進性という概念の充満した、いまの社会では“常識”となっている。週刊誌のヌード写真の酷さ、芸能人の汚い言葉づかいを批判しない世の中。

 いうならば日本中が無礼講の会場となっている風がある。実子ではない5歳児を虐待死させた話は、この両親に親としての資格があるのかを疑わせる。この児が書いた両親への許しを乞う文書が公になった。5歳児とは思えない内容である。こんな両親があるのだろうか。若い人人が自由に浸ることはよい。しかし人間、子ども、社会という秩序の枠を不自由と思うとすれば世は末となる。

 自分にそれにふさわしい資格があるのか、と問いかける謙虚さが求められる。電車に乳母車を使って乗っている微笑ましい夫婦を見ることが多くなった。こんな仲間のなかに無資格な両親が混じっているか、と思うと複雑な心境になる。

2018年6月12日 記