2024年7月23日掲載

この度の東京の選挙をはじめとした各種選挙から学ぶこと

選挙は政治教育の場である。

 都知事、都議補選が終わって、いまさらながら世論と輿論の区別のできない国民とマスコミであると痛感した。世論・せろんとは中身のない刹那的な感情、思い付きを中心とした意思表示である。輿論・よろんとは時間をかけた知的な意思表示である。現代は時間を早く回すように構成されている。食品をよく噛まないで飲み込むようなものだ。生き急ぎの時代である。噛まなければ、消化不良になるのは当然である。消化不良とは栄養が体に回らないことである。餓鬼の様にむさぼっても、身につかなければすべてが無駄である。選挙でいえば公費も私費も使って、公職選挙の効果が上がらないということだ。公職選挙の効果とは有権者が、真に公共のため、国家のために理念をもって働く政治家を選ぶということである。

党より人物の選択が大切である。

 今回の自民党の裏金事件にもあったように政治家が集まった党は国民を裏切る組織にもなるという証明をした。そこで政治家となった個人とは選挙の時に、契約を結んだ訳である。この契約に違反したとき、即ち、悖る時は契約違反をしたことになる訳である。社会にあっては契約違反は追及される。場合によっては訴訟にもなる。選挙の契約違反は訴訟にはなじまないという人もいる。だが一票の重み、大切さは、人の命は地球よりも重いという標語にも当てはまる。

 私達は候補者、人物を知って投票しているだろうか。ポスター、チラシ、広報の印象だけで選択していないだろうか。世界観、歴史観、人権などてがかり、エピソードなどを求めて選挙運動しているだろうか。有権者としての積極的な努力が足りないように思う。

2024年7月14日 記