2018年7月26日掲載

鉄舟忌に新しい事実が

—「一番槍は山岡鉄舟」徳川慶喜—

 7月19日、鉄舟忌の法要が谷中全生庵で催され、参加した。暑いなか約百人が参加。例年と違ったのは東洋大学教授 岩下哲典氏の講演であった。氏はこの7月に「江戸無血開城」を出版されている。本当の功労者は山岡鉄舟である、と結論づけられている。そのきっかけとなったのは2016年、江戸東京博物館で私もかかわって開かれた「江戸無血開城と山岡鉄舟展」であった。慶応4年4月11日に慶喜は謹慎先の水戸へ行くのだが、その前夜に山岡鉄舟を呼んで、自分の手から来国俊の短刀を鉄舟に与え、これまで数数の骨折りをして、官軍に第一番に会って一番槍だと称えたのでありがたかったと家族に送った書状に書いてある。

 その書状が展示され、岩下氏は全生庵に交渉し、実物も見て本の刊行に至ったと語った。「一番槍」と慶喜がいったのは鉄舟も高橋泥舟から槍術を習っていたこと、高橋泥舟が槍の名人であったことからの着想であったろう。何はともかく、徳川慶喜が認めた一大功労者が山岡鉄舟であることは、ここに決定した。

 静岡鉄舟会の方方とも話ができ、中身のある鉄舟忌であった。

2018年7月20日 記