2025年4月5日掲載

見られたい、知られたい人間の欲望の落とし穴

 商店街でテレビに放映されました、という張り紙が店先に貼られている。芸能界の人間も、主演するフジテレビ、日本テレビの連続番組が始まります、と宣伝する。知られる快感、認められた喜びがあるのだろう。確かにこのような願望がなければ、若い男性に性の中居問題は空回りしたであろう。すなわち、知られるための手段として、組織が人気者のご機嫌を取ったり、または自分も機会を得ようとして、被害者も一時的には気持ちが動いた可能性がある。

 いまの世は何でもスマートフォンに写して、見せ合う時代となった。これが情報社会の進んだ結果である。スマートフォンは子どもでも持てる。写る画面は人を選ばない。地方から呼び出されて、殺される子ども。いかがわしい行為の被害者になる青少年。みんな「られたい」人種の性格を利用されている。いま突然に鴨長明になって世捨て人になろうというわけではないが、すこし自分を見つめ、人に気を向かせるのではなく、自分の心のあり様を見つめる時間をつくることが大切である。人を気にせず、自分の生き方を考えるということだ。

2025年4月3日 記