2025年5月19日掲載

武道としての大相撲を考える

 「裁着の呼び出す巨漢青嵐」五月の俳句に、いま行われている大相撲に関連した句を作りました。かつてこの欄に、年六場所は力士のためには過酷な場所数で、四場所が良いと書きました。

 一般社会では勤務時間、勤務体制に人権の視野が入ってきて好ましくなってきたのですが、大相撲は前近代の仕組みのままだということです。

 力士の健康、特に怪我の回復などからも四場所が良いのです。さて今回は力士の土俵上の態度です。おまじないのように、塩を足などに振ったり、時間いっぱいになるとぺたぺたと顔や足を叩いたりします。さらにテレビカメラに向かって睨みつけるようなしぐさをします。このようなことはテレビ時代の初めにはなかったことです。栃錦、若乃花、大鵬などはひょうひょう、淡々と内に闘志を秘めて仕切ったものです。剣道をしている者としても、試合の前に自分を誇示するようなしぐさをすることはあり得ません。空手、柔道でもそうでしょう。相撲も相撲道というくらいですから争う相手の前で、プロレスのようなパフォーマンスはありえませんし、考えられません。このような力士が増えてきていることから、大相撲はあくまで見世物であるといわざるをえません。厳密な相撲道からは遠いスポーツに過ぎないと思うのです。

2025年5月17日 記