2024年7月25日掲載

冤罪を犯しても国家、警察、検察には金銭保障の義務はないのか

 言うまでもなく警察や検察は強権力を持っている。犯罪などの監視、逮捕などの権利を国民から委嘱されている。それゆえに国民から信頼されることが大前提となる。しかし彼らも神ではない。最高裁で無罪になった例は、いくつもある。すなわち冤罪である。その場合、まず被疑者に対しのお詫びはもとより、刑務所にいた時間、名誉、社会生活を奪われた保障、すなわち金銭の保障はどうするのか。

村木さんの冤罪の場合

 例えば旧労働省のキャリアであった村木厚子さんの場合を見る。2009年に旧労働省の郵便不正事件で逮捕され、164日拘束されて無罪が確定し、その後、職場に復帰して事務次官になって名誉を回復できた。彼女が裁判資料を読み始めて、検察の主張する日付の食い違いを自分で見つけて、無罪判決を勝ち取ったからできたのである。官僚で資料の判読になれていたから彼女は見事に検察などに対抗できた。しかし彼女への金銭保障は聞いていない。キャリア官僚名誉を傷つけられて、犯罪者扱いをされてこんな間尺の合わない話はない。

 もとより一般国民には冤罪に問われない生活が必要である。当然である。しかし複雑な実生活では犯していない犯罪に問われることがないわけではない。

袴田さんの冤罪の場合

 1966年に起きた、静岡県清水市の一家4人殺害の袴田事件では、袴田巌被告は48年獄中にいる間、無罪を主張して最高裁にいっても本人は無罪を主張し、検察が犯人の疑いをいつまでも主張している場合がある。検察に根拠があるのなら法治国家として道理があるかもしれない。しかしである。もしも袴田さんに無罪という最高裁判決がでた場合、警察も検察も警察も本人に何のお詫びもなしですむのだろうか。現代民主主義の国の法制度のあり方として是認されるのだろうか。私が長年疑問に思ってきたことである。誰かさんの教えを請いたいところである。

2024年7月17日 記