2026年10月5日掲載
政治風土を変えるための私の提言(3)
伊東市の市長の経歴疑惑、福岡県の議会役職についての金銭授受、横浜市長の権力威圧などこのところにきて地方政治のゆるみが多くなったようだ。
ゆるみというのは公職に対するゆるみである。先にも触れた「先生」という呼称などは住民も、議員でなれ合ってもゆるみの渦中にあった。先生ワールドをつくっていた。
「先生」と呼ばれなければ返事をしない議員を見たことがある。有権者の前では議員バッチを外すべきだ。テレビジョンに出る時でもバッジは付けるべきではない。
議会だけに限って議員の資格を表すべきだ。特別な人間のように国民からは見られる。見られたいのかもしれないが。
河野洋平さんは議員、有権者、官僚はジャン、ケン、ポンの優劣関係にあると言っていた。すなわち議員は有権者に弱い、有権者は官僚に弱い、官僚は議員に弱い。
この関係が正三角形であればよいがどこかが狂うといびつな関係になる。
とりわけ議員や官僚が「界」を作り政界、官界となると閉鎖性が強くなり内向きになる。そこでは長年の慣習、因習が幅を利かす。
当選回数、肩書の「先生」という飾りがものをいう。「界」のことで話を全く変えるが、ジャニーズ事件の1000件を超す男性の性被害も芸能界、ジャニーズ事務所に入り、喜多川に気に入られ、芸能界で目立ちたいために、ジャニー喜多川のいうことを聞いたのであろう。
とかく閉鎖的な「界」は力のある者の思うままになるジャングルの世界なのだ。今回の引き続く地方政治の醜聞は、体裁を無視した人間のむき出しの欲望の政治版とみるとわかりやすい。
体裁とは見られ方、受け止められ方ともいえる。誰もが裸体で街を歩きはしない。そんな姿で歩けるのは街を闇の社会と思っているからである。闇をなくすことだ。闇とは社会から見ての不合理、不条理である。
薄暗いジャングルではなく明るいところ、人前で気兼ねなく話のできる環境、これを大切にすれば闇は生じない。内緒話、ひそひそ話は、夕暮れに近い。
堂々と話せる、だれもがわかりやすい人間関係、社会関係を求める努力を日常で求めていくことである。これで政治風土は格段に変わり、議員が特別な階層のようには見られなくなる。まさに公僕であって、国民のしもべということである。こうなれば社会も暮らし良くなるはずだ。
2026年10月5日 記
