功績をつなぐこと死をいたむこと
お二人の方の弔みについて

―山岡鉄舟とある奥様のこと―

 7月19日には大きな弔みの会がありました。

 一つは山岡鉄舟の没後125年の集いでした。午前11時から法事があり、無刀流の演技となおらいです。

 江戸、東京を一般庶民をほとんど犠牲にしないで開放したのです。ここに政治がありました。終わってみればだれも記憶にとどめないことですが、上京してくる官軍に向かうように進んで神奈川で西郷隆盛と会って五つの条件のうち将軍慶喜の岡山預けを認めさせ、西郷-勝の話し合いを合意に導くのです。準備と仕込みをして仕上げの花舞台は勝に任せたのが山岡です。西郷が後に「命も名誉もいらないという人間ほどあつかいにくいものはない」と言ったのは山岡だったのです。

 後に明治天皇のお側で十年間の約束で西郷の申し入れを受けて仕え、十年できっぱりと辞めたのです。

 まさに潔い人間でした。議長の辞任要求を都議会の自民党や公明党から理由ない理由で受けた時にも、心の強さを山岡鉄舟の建設した全生庵で坐禅を組んでいた経験から微動だにしなかったものです。

 もう一つの会は北区内のある会社の奥様です。私の義父の親しくされていた社長の奥様です。私の印象は昭和天皇の奥様の良子様のような風貌と品格の方でした。

 人はいつかは世を去るものですが、この世に残すべきものがあって私たちに感銘を残していくことが大切だと思うのです。まず天、次に家族、会社、社会、国、世界というようにつなげていくことで個人の人生があります。その方は充分にそのことを果たされて去られたのです。山岡鉄舟とある奥様それぞれが人生の役割を自覚されていたのでしょう。なぜならば周辺の人々が快い気持で過ごした時間をその方々と共有できたからです。

2012年7月19日 記