『一国の首都』こぼれ話
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さきに幸田露伴著の『一国の首都』が脱稿したことは書きました。明治35年の本ですから、まだ薩長土肥と幕府の関係も残っている社会です。
そんななかで露伴は珍しいことを書いています。それを数回にわたってお話します。
まず東京のあり方です。東京は日本だけでなく世界の東京にならなければならない、と強調しています。ロンドン、パリ、ローマに負けてはならないというのです。
そして大きなところ、大局に目を向けろといっています。開明的な姿です。
露伴に限らず医学、法律などの先人は今日以上に努力しています。肩に力を入れず、さらりと成し遂げています。
人間の大きさが違います。東京に限らず地方のどこにも地域で尊敬される人がいて、名は知られなくても自分の役割を果たしています。地方の図書館で郷土史のコーナーでは必ず取り上げています。
中央に限らず地方にも役に立った人々はいたのです。それを東京をはじめとして集中することで大都市が成り立っています。
有為な人を地方にも、です。工夫もしなければなりません。露伴は東京にすべてを集めろとはいっていません。東京が世界に向けて前へ出ていくことを要望しているのです。文学者の露伴の見る東京。私は感心しながら訳しました。
以上、2013年3月26日 記
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露伴はこんなことも書いています。
当時、東京は明治30年代、馬車や人力車が泥の道すなわち舗装されていない道を通っていました。
雨や雪が降った後は、車の轍(わだち)で道がぐちゃぐちゃになります。重い荷物のために柔らかい道が傷むのです。
そこで露伴は轍の広い、狭いによって税金を課けることを提案しています。
今でいうと迷惑税ということです。
舗装が一般的になるまでは、東京の町も乾けば土、雨雪で泥のはね返りと、迷惑していたのでしょう。
露伴の轍税ともいうべき発想は現実直視の面白いものと思うのですが。
今ある自動車重量税はこの発想でしょう。露伴の先見力といったらほめすぎでしょうか。露伴びいきの和田の意見です。
以上、2013年3月28日 記
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露伴は幼児教育を、それも幼稚園の建設を唱えています。明治30年代の子どもで幼稚園へ通っているのは稀でしょう。
しかし彼は子守り、祖母に預けられて幼児がおかれる環境は学ぶこととは程遠いものとして、幼稚園をすすめます。
子守り、祖母とともに費やす時間あるいは得るものが教育的にもったいなく、無駄といいます。時間つぶしの無為と映ったのかもしれません。露伴が尊ぶ自覚・意志がそこにないからです。
さらに彼はその立地を神社に求めます。お寺ではありません。神社の敷地内こそふさわしいといいます。現在では神社、お寺に関わらず幼稚園を経営しているところは少なくありません。彼は制度とか型に即した教育こそ幼児には必要と考えたのでしょう。
一般的に広い敷地のある神社と幼稚園の関係は、露伴が7才から四書五経の素読をしていた体験から幼児教育の必要に至ったと考えています。
以上、2013年4月14日 記
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露伴はこの本の1/4を遊廓に割いています。
もとより東京と江戸の気風の相違、交通、上下水道、建物、警察などいろいろと都政について書いています。
しかし彼の意図が、なぜ遊廓を詳説しなければならなかったのかが、不可解です。
露伴研究者もこれには触れていません。
記録に出てきた源平時代の遊女から説き明かし、旧吉原、新吉原の幕府の開設目的まで書いています。
なんとしても1/4という分量は分かりません。しかし私はこう推理します。
彼は遊廓を否定しています。それはあくまで世間の異物と考えるからです。明治の時代で遊廓廃止を唱えています。
その理由は、異端であるべきで遊廓すなわち風俗がいつの間にか世間すなわち正統と入れ替わって力を持ち始めたからです。
本書の中で遊廓のしぐさが世間の流行になったことを彼は慨嘆します。
それが主流となってしまいます。
この流れは止められません。大衆化ともいうべき時代の流れです。
本のあとがきにも書きましたが、スペインの哲学者、オルテガ・イ・ガセットが『大衆の反逆』の中で1920年代に出てきた大衆、庶民の道徳の乱れをついています。
その30年前に露伴は『一国の首都』の中で大衆が明治維新で生じてから起こってきた社会現象に警鐘を鳴らしています。
この先見力をどう見るのか、私だけの課題ではありません。
以上、2013年4月14日 記
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割り込んだ話となります。この本のなかに「伊勢屋、稲荷に犬の糞」というくだりがあります。むかしの江戸でよく目につくものということです。伊勢屋は和菓子屋さんに多くみられます。お稲荷さんは街角や社屋のなかにも赤い鳥居で目立ちます。犬の糞は今はあまり見ませんが、江戸ではあちこちにあったようです。露伴は公衆衛生を説くときに、犬の糞の処理は住民の自覚といっています。
落語の枕に使えるような、しかし急所をついた言葉です。
以上、2013年4月30日 記
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5月20日に出版予定の『一国の首都』の表紙が決まりました。この連休の4日間、4駅3時間都政報告の合間に最終点検をします。
都政人(都政に関わる人)には以前から話題の事でした。かつてはこの本を輪読して勉強会を持つ都の局もあったそうです。かつて副知事をされた方から聞いたことがあります。
どのような反響がありますか。
政治家 和田宗春であるとともに教養や知性も身につけたいと思ってきましたから、本物かどうかは人の判断ですが、私自身は努力しているつもりです。武道、坐禅、翻訳、著作、ボランティア活動などすべて自分磨きです。
いまの政治家に欠けているもの、それは品格、冷静さではありませんか。それを身につけるために政治はもとより、他の事に集中するのも必要と考えてきました。
以上、2013年5月3日 記
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5月25日のわだむねサロンでこの本を御披露しようと思います。場所は東十条事務所です。出版記念会ではありません。ご興味のある方でしたらどなたでも御参加いただけます。
6月決戦が近づいていますが、露伴がどんな思いで「江戸=東京」に思いをこめていたのかは、都政人(都関係公務員、政治家など)にとって興味のあるところに違いありません。
ですからこのホームページを中心にしてこの本を広めていただいて、本を理解するとともに、それを現代語訳した和田宗春のめざす東京、あるいは東京への深い愛情を知ってほしいのです。
軽い気持で朝4時に起きて筆をとったつもりはありません。政治活動を充分にしたうえで、代表質問、陳情処理などをしたうえで、これまでに20冊近い本を公にして和田宗春の人柄、姿勢を知ってほしいと努力してきました。
大宣伝はしません。しかし5月25日(土)午後1時からの『一国の首都』の集いに御参加ください。参加費は300円。本代は1冊1470円で別です。ご自由にお買いください。幸田露伴 現代語訳の第2作目です。
以上、2013年5月17日 記
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露伴は本書で権妻(ごんさい)という存在にふれています。薩長土肥の勢力が、江戸を征圧して、非公認の妻を側におくのですが、それを権妻といっていたと紹介しています。
そしてこの権妻を皮肉めいて書いています。
露伴は男女関係も潔癖だったのでしょう。
現在の従軍慰安婦の橋下共同代表の発言を見るにつけて、権妻を思い出します。
軍隊に関わる問題と切り離せないもので、時代を問わず私たちの周辺の問題です。
とくに沖縄には米軍隊がいるのですから、露伴の時代と変わりありません。
以上、2013年5月21日 記
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5月19日の大決起集会に参加した人が話しかけました。その人は長く教育界にいて、剣道を通じた友人です。
「和田さんとは40年のつきあいだけれども、よく本を書いている時間があるね。」と言いました。
私の答えは簡単です。「天は24時間を平等に与えてくださっているので、それを生かすことしかありません。」と答えました。
私は本好きな二人の娘に「読んだら書かなければダメ。外に出さなければ食事と同じで頭がパンクしちゃうよ。」と言っています。
それを実践しているにすぎません。
二人の娘は私の言う通りにはしていません。残念。しかし、別の面では与えられた自分の天分を使い果たして死んでいくべきだ、という考えもあります。俳句、スキー、ゴルフ、ボランティア活動も嫌でやったことはありません。それをすることが快感なのですから、何十年も続けてきました。
ですからこの『一国の首都』もまだ誰もやっていない、しかし都政人が必ず知っておかなければならない幸田露伴の首都論を、私が現代語訳したという、問題意識と先見力に自分で頷いているところです。
以上、2013年5月22日 記