『水の東京』こぼれ話

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 『一国の首都』の話はまだ続けられますが、この辺で同じく一冊の本に同居している『水の東京』について書きます。

 戦後に流行った東京ラプソディという歌がありました。その歌詞のなかで「恋のパラダイスよ 花の東京」といっています。東京を強調しているのですが、緑と花が似合う東京という意味もあります。

 この歌で戦後のうつむいていた国民、都民はどれほど励まされて上を向いたことでしょう。

 その発想と同じに露伴は『水の東京』を歌うのではなく書いています。

 都議会の公営企業委員会の決算審議のなかに石神井川が出てきている部分を紹介しました。

 東京は隅田川を大きな背骨として小さな小骨である中小河川が都民生活と係わってきています。それが東京の江戸の歴史です。

 水の都ベニスといいますが、東京は違った水の都です。その自負心を露伴は名文で記しています。

 私、和田の悪文が汚さないようにしましたが、それは知れたことです。

 とにかく東京を愛してやまなかった露伴の醒めた文章を知っていただければと思います。

以上、2013年4月22日 記

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 『一国の首都』と『水の東京』が5月25日の第3回わだむねサロンで披露されることになりました。まずご報告いたします。

 幸田露伴にこだわって、昨年12月の『努力論』、今年の『一国の首都』と2冊の本を半年たらずのうちに出版したのは、それなりの理由があります。新しいこと、変化することがすべて善のように受けとめられている現代に反発しているからでもあります。

 変化してはならないもの、すなわち正義、真実などです。人を殺したり、いじめたりしてはならないことは正義にかかわることです。また地球が自転していること、水が高い所から低い所に流れることも真実です。

 これが変化してはなりません。しかし、すべて変化することが善とする進歩主義者がいつの世にもいます。変化が善となれば、世の中は善を求めて安定しなくなります。そのような時代に子ども、高齢者の人生は気の静まることのないものとなります。

 『水の東京』は最終的には東京湾に注ぐのですが、隅田川の持つ大きな意味をそこに含んでいます。高きから低きへの原則があるように、変化と安定はそれぞれの役割をもって時代を進めていきます。取り立てて急ぐこともなく、止まることもなく自然に流れていく事象、人生があってよいのです。私から申しあげると川と時代、世代、人生はまったく一致しているのです。

以上、2013年4月26日 記

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 池波正太郎氏の描く『鬼平犯科帳』などではよく水路が出てきて、猪牙船(ちょきぶね)が主人公を乗せて活躍します。

 また江戸はエコロジカル都市でしたから、木の枝を干して火種にしたり、紙の再利用などは当然のことでした。

 とくに糞尿は近郊の農村へ売りにいって、その帰りに米、野菜を買うという仕組です。

 隅田川という本流から分かれるように小さな支流があって、川を使った江戸の運輸がありました。どのような町でも川と接点があって、水との交わりがありました。

 「水に流す」という言葉があるように、捨て場としての川もあって、東京の清潔さが保たれていました。いまのように腐らないビニールやプラスチック、鉄などがない時代です。

 上手に川はリサイクルの環のなかにあって、役割りを果たしてきていたのです。

以上、2013年4月27日 記

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 この本のなかで渡し場が出てきます。私の住む北区にもありました。

 神谷から足立へ行く渡しです。昭和30年代で5円。川上に舟を進めて流れを利用して着船する、見事さに驚きました。

 田辺さんという方が船頭をしていました。

 水車も見えて、澄んだ川で、ハゼなども釣れました。

 自転車なども載せていました。

 いつの間にか川は東京から消えてしまいました。「春の小川」も消えました。

 世の中の進歩は川を見えないようにしていきます。

 そして、水の怒りを受けることになるのです。

以上、2013年4月29日 記