2013年11月18日掲載
映画「ハンナ・アーレント」について
—いま必要な非妥協の個の勁い姿勢—
11月15日に岩波ホールの「ハンナ・アーレント」を観てきました。
ハンナ・アーレントは1906〜75、ドイツのハノーバー出身の政治・哲学者です。ユダヤ人の血が混じっています。
40年にはフランスにいながら強制収容所に半年ほど収容されていましたが、脱出しています。
米国のプリンストン、ハーバード大学で教えています。この映画はナチスのアイヒマンが捕えられた後の裁判をニューヨーカー誌に連載を依頼された時の経緯、彼女の立場や考え方を描写しています。
彼女は1963年にナチス親衛隊の幹部としてユダヤ人数百万人を強制収容所に送っているアドルフ・アイヒマンを「凡庸な人物」として思考を放棄した哀れな人間である、という裁判傍聴記を記しました。
当時の戦勝国である米国、英国などはナチスを絶対的な敵とみなし容赦のない糾弾をしていました。そこに一見すると擁護するようなアーレントの記事ですから、ニューヨーカーにも脅かしの手紙や電話、本人も当然批判が集中します。
しかし彼女は主張をかえずに貫き通します。知人、友人、夫までも冷ややかになり、学校も追われます。
彼女は揺るぎませんでした。
彼女は悪には立場や国などの環境は無関係といいます。
私には戦勝国のフランスにいても強制収容所に入れられる不可思議な矛盾をはじめ、人間にはいろいろな面があることを冷静に観察しているように思えます。
ナチスといえばだれもがこれを否定しなければならない雰囲気、まさにこの雰囲気がどこからもたらされるかという彼女の代表著作の『全体主義の起源』にさかのぼって考えなければ私たちに解答は与えられません。アーレントが50年近く前に心配していて思考をやめて結論、雰囲気にまかせる風潮は、いま日本のアベノミクスなる力づくの政治に国民の多くが拍手を送っている雰囲気にそっくりだと私は思います。つらくても現実を見つめて考えること、これを怠ることは危険です。
学生時代に読んだみすず書房から出た3分冊からなる分厚い『全体主義の起源』をもう一度あらためて読み直し、彼女の気質に拍手しています。
2013年11月15日 記