2019年3月6日掲載
光悦の4回講座を終えて
—追い求める情熱の尊さ—
4回19名の参加で文京学院大学生涯学習センターの講座が終わったことはすでに書いた。
その中で中高年が多かったが、90分間、休憩なしだった。大学の講義の時は、90分の中間あたりに5分間の休憩をとり、私は教室からいなくなり生徒に電話、会話など自由にさせた。これは生徒との話し合いの結果だ。ただし授業中は会話、電話は硬く禁止という条件。
初日に提案した。なんと続けて講義をしてほしい、という。
—熱心さの先にある文化を理解する情熱—
光悦といえば、もう一つの印象が出来上がっている。例えば誰が言い出したのかわからないが、“日本のダビンチ”である。多才であり、発想が奇抜である、古い文化を認め回帰する態度をいうのであろう。定着した光悦像を追認するのではなく、平静な分析をしようとする私と受講生は向き合った。
家康から鷹ケ峯を拝領する数考えられるいきさつ、その鷹峯を去らざるを得なかった理由など美や芸術と関わらない権力との相克、家記、家憲の持つ性質などおよそ陶器の国宝「不二山」や「鹿下絵和歌巻」とは関わりのない話をした。さらに、これからの光悦研究として光悦の絵画を探す方法にも触れた。それに興味をもって注目していた人もいた。私の所蔵する光悦関係の本を示しての自分の感想を述べるなどし、受講料を払って時間を割いて社会人が参加する理由はそれだけ知識欲と、それだけではない歴史や我が国文化への憧憬であるのかもしれない。最近の展覧会への参加者を、美術について少し先にいる学芸員が質の高い文化理解に誘導する必要がある。
講座を終えて、学芸員としての私は一つ階段を上がって視野も広くなったように思う。さらに学芸員として光悦を通して質の高い日本美術への理解が自分に深まるように努力していきたい。講座からは多くの教訓を学んだ。
2019年3月7日 記