2020年3月6日掲載

明日は我が身、他人ごとではないビルマ

 ビルマでは昨年10月の総選挙で民主政権が国民から承認され多数を得た。しかし軍の司令官は今年7月の退任を前にクーデターを起こした。民主化の生活を知った国民は、強い不満と怒りをもってデモを続けている。ここにきて軍はデモ隊に発砲し、結果すでに数十人の死傷者が出ている。アメリカはもとよりアジア諸国からも暴力による鎮圧を非難する声が上がっている。当然である。武器ではなく対話による政治は近代の象徴である。

 だが、ここにきて風向きが変わった。アメリカの、台湾の、ロシアの、中国の、強引な対話、言論を封じ込める姿勢には共通するものがある。その顕著なものがビルマである。このビルマの許されざる暴挙をアメリカを除くこれらの国々は強くは非難しない。なんとなればそれをすることは自分の政権運営に向ける非難になるからである。さらに自分の言うことを権力で、時には銃を使ってまでも通すという強引さが低流にある。

 ある意味で前近代的な専制的な行動と言える。民主的とは決して言えるものではない。私たちはともすると楽観主義から、世の中は時間が過ぎ時代と共に、一人ひとりの人間の幸せが守られ地球が争いの無い平和に近づくという理想を抱くものである。しかし時代は時に跛行して、横にいったり戻ったりする。一直線にはいかない。甘い幻想だということになる。だが現実はいま目の前にある弾圧である。 

 ビルマ人のアメリカ在住の友人と3月4日に電話で話をした。日本にも伝わっているが、民主派は臨時政府を設立するという。去年当選した議員の中から大臣を選んで軍に対抗するという。苦肉の策ではあるが、私は積極的に評価する。北朝鮮もそうだがビルマでもそれまで政権を牛耳ってきた勢力は政権を降りたときの反動を恐れる。その傾向は韓国の歴代大統領がやめた後の次の政権からの攻撃にも表れている。前大統領が自殺、投獄などされる。

 ビルマの軍の横暴は国際的にも批判が高まり経済制裁など平和的な圧力が高まっている。

 1988年の軍の横暴の二の舞で国民を圧迫出来ると軍は踏んだのだろう。だが国民は民主化を生活の中で知って、元に戻ることは死ぬより嫌だという覚悟で抵抗している。まかり間違って軍のこの策略が成功すると強圧政治を進める台湾、中国、ロシア、北朝鮮などは自信をもって国民の制圧に力を入れてくるに違いない。この策謀は許してはならない。日本の政府は総理の長男の醜聞に追われて、官僚の接待問題に追われ、人類の大切な平和、人権問題に関り発言する余裕がない。薄っぺらい寒々しい国である。

2021年3月4日 記