2013年11月19日掲載
【議員の心理と行動】政治指導はどこまで可能か?(2)
国や団体・地方自治体の官僚は公正、平等に運営されなければなりません。地位、名士あるいは上部団体を構成する人々などの個人的な影響は拒否されるべきものです。しかし官僚の中には自分と職務から生ずる責任や権力を取り違える人が出てきます。
責任とは公正、平等に国民や住民と接することで区別や差別をしないことです。国民の選んだ議員に決められた法律、条例にそった取扱いをすることです。権力とはそれを実行する時に出てくる障害に束縛されず、実行する公が保障した力です。法律や条例が円滑に適用されているということは、その時代に生活する人々に不満がないことでもあります。このような状態であれば、官僚の行政だけで国や地方自治体は動いていきます。
しかし4年に一度の地方議会、6年に一度の参議院あるいはいつ解散があるかわからない衆議院などの場合、日々有権者の要求に応えその総和となる世論を政治に生かそうとしています。
要するに法律、条例の運用を自分の仕事とする官僚と、世論を受けて暮しぶり、生き方を束縛する法律を作ったり、変えたりする政治家とは異なる見方、考え方をせざるをえない環境にあります。
官僚は決められた法律を正しく運用しようとする応用のきかない真面目人間、政治家は果てしなく要求する有権者の欲求を選挙で選ばれるためにできるだけ官僚に認めさせようとする融通無碍の人間という風になります。
決められた法律、条例に添った仕事をする官僚は、自分のまかされた範囲を狭く深く知って処理します。
政治家はそれを監視したり、新しい要求を受け入れた法律、条例を変えたり、作ったりするのが仕事です。しかし有権者によって議席を与えられている政治家は、有権者の要求に対応して法律、条例を調査し作る時間がなく能力も教育されていません。
そこで官僚の狭くはあっても専門的な仕事に依存することになります。
次回へ。
2013年11月16日 記
