2015年3月7日掲載

携帯電話に依存しない生活

—反文明論・便利さの恐ろしさ—

 安直に安易に入る情報の網にかかってしまった現代人を救う道はあるのでしょうか。携帯電話・スマートフォンのサービスの一つにLINEがあって、今回の川崎市の残酷事件につながります。すべての現象に光と影があります。ですから携帯電話の存在で、生命、財産が守られたこともあるでしょう。そのような人も数多くいるはずです。そのような利点だけであればよいのですが、根拠のない噂や嫌がらせを流して人を社会を混乱させることもあります。

 これは原子力エネルギーの源である原子力発電所の建設と利用と同じです。あれば便利、しかし、ひとたび故障すれば数万年に渡って生命を脅かします。

 私は携帯電話を持ちます。持ちますが、単純に通話交換をするだけで利用しています。それ以外には使おうと用いませんし、不便を感じていません。時代遅れといわれるかもしれませんが、不条理な、受けとめたくない売り込みを勧誘させることもありません。携帯電話よりも会って話をする、電話よりも葉書が儀礼上も大切だと思っています。

 たとえば葉書にしても、鉛筆、ボールペンよりも万年筆のほうが心がこもっていると思います。さらに毛筆のほうがよいでしょう。もとよりパソコンよりも数段に心がこもっていることを前提としています。

 早ければよい。安ければよい。こんな情報の伝え方が、広がって究極の携帯電話につながり、それに生命を奪われたり、詐欺に遭ったりとしています。皮肉なことです。こんな情報地獄から脱出するためには携帯の便利さを封印して、電話通話機能だけに限定して使うという覚悟を自分でして、他人に宣言すればよいのです。この意味では、唯我独尊、の気分で自分を強く持って生きることにつきます。

 そんな人が私たちの周りに出てきてくれることを望みます。

2015年3月6日 記