2015年4月19日掲載
情報産業の犯罪被害はウォークマンから始まった
—便利の裏の闇—
かつてソニーの両耳をふさぐウォークマンをつけたチンパンジーが身を閉じ首を振っている宣伝がテレビに流されたことがあります。それほど快適な音楽環境を部屋から歩きながらへと作り変えました。
しかしこの裏で他人に注意を払わず、自分に没頭する傾向を日常化させました。外界への注意力も閉鎖させました。もとより自然の移り変わりへも同様です。
この情報革命ともいうべき延長線上にスマートフォンを使った子どもの被害が大きな社会問題となっています。そもそも子どもに携帯電話を持たせることを当たり前とする社会を、親が容認したところから始まります。
携帯電話の普及は公衆電話を取り外させることになり、極端に目につかなくなりました。さてこのスマートフォンが多機能であるために効用とともに犯罪につながる悪用する人間が出てきています。
このほど警察庁がまとまた昨年1年間の交流サイトで性犯罪の被害を受けた18歳未満の子どもは1400人を越して2008年からの調査以来、過去最高になったということです。
簡単、便利に情報が取れることで、それが性的被害に遭うものと知りつつ興味本位で関わってしまうのです。
おとなはお金儲けや欲求を満たすために手段としてスマートフォンを使います。子どもは批判力なく近づいて利用されます。
スマートフォンで育った親は5割が注意せずにいたようです。
人間を豊かに幸せにするはずの情報社会が、歪んだ暗い面を持っていることに気づくのが遅すぎます。
これからスマートフォンの使用を禁止することはできません。
いわんや販売禁止にできません。人間が機械を操ればよい、というのは理想論です。機械を持てば使いたくなるのが本能です。
米穀の銃社会では、幼児が誤って母親を撃ち殺すような事故があります。
原子爆弾も作れば使いたくなります。原発もそうです。理性的、知性的な人間ばかりではありません。
少なくともスマートフォンの便利さと被害をつき合わせた時、自分の使用・携帯、身近な人間への注意喚起を行っていくことは大切なことです。まず「隗より始めよ」です。
2015年4月17日 記
