2015年7月4日掲載

思考を奪う安易な言葉

—感覚表現の薄さ—

 ここでも以前に「立ち上げる」の連発は語彙を貧弱にする、と指摘しました。新聞、テレビの活字、音声を少し気にしていると、何かを始める時に、○○は「○○を立ち上げて対応しています。」などとしています。

 本来は立ち上げる、ということは家を、輿を、組織を造り上げて完成させたということでしょう。開始する、始める、設置する、設ける、稼動するなどその対象によって、日本語には数多くの単語があります。それをすべてといってよいほど、立ち上げる、で済ましています。

 わかりやすい辞典の広辞苑が売れなくなって、収める用語もかつて使用されたものが削られる風潮にあります。

 それ以外の辞書はますます語数は少なくなっています。

 まだ新聞社、出版社では適宜ふさわしい用語を使うようですが、これもいつまで続くか心配です。この立ち上げの乱発、さらにリスクという用語もみなさんの身辺に多用されていませんか。危険という英語です。日本人ですから危険といえばよいのですが、どういうわけかリスクといいます。これから受ける印象は、プラスチックの表面をなでるような感じです。危険といえばザラザラした板を触る実感が出てきます。この例はレイプと強姦も同じです。どちらが起こった現象を素直に表現していますか。

 私たちの身の回りにはこのような容易な表現が実態を表していないことが随分あります。

 「爆買い」という言葉もマスコミが使い始めました。

 中国人がデパートなどで大量に日本製品を買い漁る状態をいうそうです。

 ここにはお金にまかせて手当たり次第に買い占める中国人に対する差別感が出ています。

 この買い漁りを一語で表現しようとするから、「爆買い」となります。自然と買い漁りといっていればよいだけです。ことさら一時的な現象に造語を使う必要はありません。社会は変化させなければならない、という人はあえて昨日と今日、昨年と今年の変化を見つけて大騒ぎします。

 自然に変わるものはともかく、変化を意図しようとすると不自然になります。

 変化の中に安定を見て、安定の中に変化をつくり出していくという均衡ある思考、行動が穏健な生活者の態度ではないでしょうか。

2015年7月3日 記