2015年7月10日掲載

用語と概念規定

—外側から規定される—

 現代に生活する私たちは使っている言葉や文字から自分が型づくられていることを忘れがちです。

 磨かれた靴、塵のついていない服、髭のない顔など外側が整っていることで自分らしさが出てきます。

 私たちは内面すなわち心、精神は外側すなわち着る物、持ち物で変わってきます。

 自由放任をよしとする人人は、堅苦しいとか古臭いとか言って、なりふりを軽視します。程度はあるにしても型を軽視してよいことはありません。

 たとえば私たちが常用している用語です。ここでも取り上げている「危険ドラッグ」「いじめ」などはその最たるものです。

 危険ドラッグはなぜ麻薬といわないのでしょう。

 化学記号の問題は学問ですが、麻薬は生命に関わり犯罪の元です。それを曖昧な用語でお茶を濁しています。人人はこれでは犯罪意識などは持てません。

 またいじめです。なぜ暴力といえないのでしょう。

 この度も岩手県で、学校と家庭を往復する生活ノートに生徒が死に場所まで書いて自殺をほのめかしているのに、中学校が自殺を止められない事件がありました。先生の不注意、生徒の規律のなさはここまできました。

 はっきりとダメはダメという社会にしなければいつまでも、放任社会は直りません。テレビなどの報道機関も節度がなくなりました。

 金を出しているスポンサーは視聴率が高ければ、製品が売れるので、広告主になりますが、不人気で視聴率が取れないと番組は中止となります。

 ですから次々と興味本位の低俗な番組が出ます。

 たとえば若い女性がどれだけ大食できるか、番組の中で乱暴な言葉を使って笑わせるとか、人権にまで及ぶ言葉を使って注目され人気者になろうとします。私の経験では、かつて「笑点」という番組を見ていました。当初は皮肉、駄洒落などくだけた会話で楽しめました。しかしここ10年ぐらい前から、まとめ役の年輩の落語家や仲間を馬鹿にすることを目的とする出演落語家が何人も出始めて、不愉快な場面が多くなったと考えて見なくなりました。

 その一方でこんな場面に首もかしげます。

 夏のこの時期から黒い洋服姿の若い男女が目立ちます。就職活動のためにしっかりと衣服を整えているのでしょう。会社訪問をしたりすれば、面接する会社の人人と会話をする言葉遣いも大切です。

 就職活動の時だけの姿であとは別というのでは、そんな取り繕いをする人間を会社は採らないでしょう。

 姿も言葉も振舞いも就職したいと願う切実さを出して生活すればよいと思うのですが、そうすれば日常生活でも、家族、近所の朝夕の挨拶などでどれほど潤うことでしょう。

 他人に求めるよりも、自分でできる自己管理と他人との付き合い方を再考することが小さなこととはいえ大切だと自戒しています。

2015年7月8日 記