2015年9月6日掲載
ウォークマンのもたらした被害
—無表現の不気味さ—
朝、犬の散歩に出ます。歩く人に会って、小声で「おはようございます。」という。返事がない。そんな人に何日か会って気がつきます。耳にイヤホンをしています。朝の会、日射し、挨拶とはかかわりなく、頭は、音楽かラジオです。
返事があるわけはありません。早稲田に行くのに地下鉄に乗ります。混雑時間です。駅に止まってから、人をかきわけて降りようとします。声はかけません。
降りる駅の少し前から扉に向かって移動しはじめ、声をかけて意思を表せば少しずつ出口に近づけます。それをしないで、止まってから強引に押し出てきます。無言。世間は無言。世の中は不気味です。無音で働いています。このような社会を作ったのはソニーの歩きながらイヤホンをして音楽が聴けるウォークマンの開発からです。両耳を塞いで音に集中するのですから、外界とは遮断され、自分だけの世界です。他人とは無関係です。もとより言葉は必要ありません。
便利になって耳学問、習い事は進むでしょうが、他人とは没交渉で無言です。
私はウォークマンが片寄った個人社会を作ったと思っています。ウォークマンを使うことで、日本人の外国語の会話力が上がったとは聞きません。しかし自分本位になったとは思います。
自分勝手な日本人が増えたとは思います。
そして無口な人間が増えたとも思います。世の中の進歩とは何なのでしょう。
他者とは交わらず自分に、内側にこもることが進歩なのでしょうか。
四季の移ろいを味わい、自分の主張を正しく理解してもらうためにも、イヤホンは外し外界に関わって意思を表現することが大切です。
ウォークマンの便利さ文明は、また不気味さ、分かりにくさをもたらしました。
2015年9月5日 記
