2015年9月7日掲載

本人社会をめざせ

—偽者社会は花盛り—

 小保方騒動は何の結論もなく、過去の話となっています。あのように大騒ぎした新聞、テレビなどは何が原因で小保方氏は何をしたのか、社会への影響はどうだったのかの検証がありません。またいま佐野氏のエンブレム事件があって、本人は家族がおびえるなどするので作品を取り下げると責任を社会に転嫁し、幕を閉じようとしています。

 真相は分からずに終わることになるでしょう。次々に事件があるので、報じきれず新しい事件に目を奪われる報道の習性で、結果までたどり着けないのです。

 言葉は汚いのですが、喰い散らかして片づけない食事と同じです。

 こうして騒ぎが消費されていきます。要するに小保方、佐野両氏とも自分自身は何も持たずに、あたかもあるように装う偽者だったのです。詐欺師と同じです。本者はもっとどっしりとしていて、反論を徹底的にして自分をさらに社会に理解させようとするものです。人の物真似、ないものをあるように偽ることを許す社会は真面目に努力する人に失礼極まりないのです。さらにいえば、その社会に住めない、くらいの厳しさが必要です。

 朝から夜までほとんどの日本人は偽りなく、人真似でなく生きているのです。

 恥ずかしい、自分の本性が見抜かれたとしたら、0から出直すことです。

 パソコンで安易に入る情報で、ハサミとノリを使って作った偽者が幅を利かす偽者社会。その一面を二つの事件は露わにしています。もしかして、自分はどうか、問い直す人間でありたいと日日思います。

 恥を知り、小さな誇りでも守る生き方。偽者でない本人でありたい。それがいいですね。

2015年9月5日 記