2015年10月7日掲載

世論(せろん)と輿論(よろん)

—急ぎすぎない余裕—

 自分の意見をしっかり持つことは大切です。しかし、独善ではないか他人はどう見ているのか、と周りを見渡すことは誰でもすることです。判断を誤らないためにも必要なことです。だれでも今の世間、社会がどのように動いているか、自分は取り残されていないのか、という不安を感じます。

 そこで噂や他人の目を気にします。

 そんな時にテレビや新聞は世論調査の結果を出してきて、今起こっている事項の世間、社会の動きを伝えます。

 全国の成人、2千人とか3千人の答えによると、という前提で数字が出てきます。

 毎週あるいは毎月発表されます。

 皮肉なことにこの発表された数字を見て、自分も数字に賛同してあるいは反発して考え、意見をつくっていく可能性があります。

 とりわけ今回の憲法の拡大解釈、安保法制のように国の根幹にかかわる問題が、週、月単位で判断できるほど軽軽しい事件ではないのです。ここで知っておくべきことは商売としてテレビ、新聞が世論調査をし、発表することは自由ですが、私たちはこの世論調査なるものに影響されない態度を持つように努力するということです。大学で教えている時にも、評論家が『世論調査によると…』というのであれば、この人の意見は取るに足らないものであるから聞くに値しない、と教えました。

 私は週、月単位の短時間に出る意見は表層意識群として、流行服や景気観についてはありえると考えます。しかし、これは世論です。政治、行政などの中、長期的にとらえるべき課題は、深層意識群として輿論(よろん)として扱うべきだと教えてきました。

 今はどちらも混同して、世論(せろん)としています。政治は世論(せろん)として扱うべきではなく輿論(よろん)として反射的、感情的に判断するべき自称ではありません。

 芸能界の結婚、離婚や醜聞と物価、防衛、子どもの減少、福祉を同じ世論でとらえるのは無理があります。私たちもどちらが大切、重要というのではなく、性質が違うことを知っておくことと政治を身近にすることと相違しません。

 世論(せろん)と輿論。表層意識群と深層意識群。この考え方を広げていくことは、民主主義の質の向上につながると考えるのですが。

 あなたの意見をお寄せください。

2015年10月2日 記