2015年10月12日掲載
言葉の乱れは生活の乱れ
—知らずに落し穴へ—
詐欺、交通違反など犯罪は警察が取り締まり対応します。警察が抑止力となり、無制限な拡散は犯罪になりません。ところが言葉を乱したりしても誰も取り締まりません。罰則もありません。
女子高生が、オメェ、オマエとかいってみたり、何を見てもカワィーと幼児語を大袈裟に使ったりします。不特定多数の見ているテレビでも乱発しています。それが流行りのようになっています。
少し前にアラフォーといわれて、何のことかわからずに人に訊きました。
まったく責任のない造語です。
みんなテレビから流された結果です。
かつてヤクザ、芸能の世界では、彼らだけに通じる隠語がありました。
麻薬はヤク、ピストルはハジキ。そこには普通の生活に向けての後ろめたさ、気遅れなどがあったように思います。
しかしアラフォーには自分たちの得意げな優越感が見られます。そんな造語が数限りなく周辺にあります。そしていつの間にか消えていきます。そしてまた新しい造語がにょっきり出てきます。その繰り返しでますます日本語は乱れていきます。いったん乱れれば、もう正常にすることはできません。罰則はないのです。尊敬語、謙譲語の使い方など目も当てられない状況です。
せめて自分、家族、友人などだけでも言葉の乱れに関心を持っていきたいものです。お互いに注意しあって、心地よい言語の使用、会話を楽しみたいものです。その一方で電波、活字で生活に影響を与える報道機関は面白おかしく世の中を玩具にするようなことはやめるべきです。
2015年10月4日 記
