2015年10月12日掲載
大河の流れがこわい
—一滴にならない自分—
安保法が通過してから、米国の軍事行動がすべて日本と連動している不安を感じています。シリアの誤爆も、わが国が今までと違って加担していることになります。そのことは日本よりも空爆を受けた方が、必死の思いで心に刻むことでしょう。そもそも空中から2〜30cmの大きさを確認できる探査機器を持っている米国が、国境なき医師団の何百平米もある施設を誤ること自体、不思議であり、陳謝すれば済むことと、生命について麻痺しています。
安倍首相が唱える戦後レジュームからの脱却とは、米国支配の体制からの脱却だったはずです。
そのために押しつけ憲法を自主憲法に変える、靖国神社も戦犯を祀る、という日本主義の復活だったはずです。それが米国の応援をする、というのですから、いつ方向が変わったのか分かりません。拉致被害者問題の解決は、北朝鮮への対応として、青色バッジをつけて国民運動にまでしました。
ところが小泉首相の時以来、一歩も前進していません。どういうわけでしょうか。時間が経つだけです、
ひところ、安倍首相も勢いづき、拉致被害者家族も期待していた解決はまったく進んでいません。
家族たちも業を煮やして失望しています。
デフレ脱却といった経済方針も、好転と停滞が入り混じっています。
今度は一億総活躍という看板につけかえて、目先を変えようとしています。
国際サッカー連盟の巨額醜聞、巨人軍選手の賭博、オリンピック費用の見直しなど、派手で頭を使わず、考えるために立ち止まらせない、情報の大河。戦後70年の今年、安保法制ができ、国民はスポーツ、美食めぐりの番組にうつつを抜かしています。
何か違和感がある、おかしいと、戦争体験者は言います。あの当時に似ているというのです。国民が考えることを止め流れに従い、それを加速させた経験を語る人もいます。せめて自分、家族、友人はこの流れを不気味と思うようであって欲しいと思います。
2015年10月11日 記
