2019年4月10日掲載

コンビニの開店時間制は生活にけじめを作る!

—便利(コンビニエンス)がすべてではない—

 手当たり次第というと目の前にある事物に無秩序に興味を持ち、関わっていく印象が浮かぶ。幼児と遊ぶおもちゃとの関係と思えばよい。

 幼児にすれば、もとより思慮もなく、計画性もない。しかも当事者はけらけらと満足の体である。一見すれば平和で穏やかでほほえましい風情である。

—当たり前に存在する無駄—

 このところコンビニ業界に変化が生じてきた。大手のセブン・イレブンが終日営業をやめる実験に入ったという。昨今の労働力不足が主な理由のようだが、店舗経営者からも労務から時間短縮の要望が出てきたようだ。そこで全国のモデルケースとして数店舗をあげて時間制限をして開けて、閉めるようにしたという。労働力不足という理由以前に、365日、24時間、皓々と店内を明るくしている状態は異常である。エネルギーの無駄が第1である。しばらく前から町が24時間、眠ることがなくなり、そこで働く人人の動き回る時間もそれぞれとなった。そこに目を付けたコンビニの誕生である。コンビニは英語のコンビニエンスストアの略。いつでも欲しい物が揃っている、すなわち便利店舗というわけである。

 しかしながら便利にも障りがある。物品購入の計画をたてなくてもよくなった反面、準備をしたり、時間をかけて工夫をしなくなった。手当たり次第で済むようになった。計画を立てないということは、消費が思い付きに動かされるようになるということだ。すなわち、浪費にもつながる。そこには都合の悪いことに、時間に制約されない、行き過ぎた“自由”という気分もある。かなり前から自由こそが至上命題という生活者も少なくない。

—経営=金儲けに制約はない方が良い?—

 コンビニは消費者の声から出た発想ではなく、資本家・経営者の安易に物品を買わせようという、思い付きの手当たり次第の感情を国民に植え付けようという戦略だったのだ。コンビニの登場で小売店は壊滅した。いまあれば高齢社会の就労が言われている時で重宝する。電気の無駄もなくなり、小売店で働く高齢者へそこそこの就労機会の提供にもなる。幼児におもちゃを与えるようなコンビニ経営を脱すれば、消費者が計画的に消費行動を選べるようになるきっかけとなる。今回のコンビニ終日営業見直しは、便利だけではない生活のメリハリを取り戻す好機と捉えるべきである。そういえば石原元都知事も「コンビニは無駄な電気をつかっているな」と言っていたのを思い出す。

2019年4月9日 記