2019年4月30日掲載

古典は熟読して実生活に生かすべし!

—40年前の相場教授の翻訳、クレッチマー著書の発展—

 クレッチマーの『体格と性格』を読んだのは政界に入る前の40年以上まえのことだ。

 翻訳者は当時慶應義塾大学教授の相場均さん。体格と性格の関連を意味づけた、いまでも世界的権威ある研究書だ。相場さんは発展させて、男性的人間、女性的人間といった分類をしていた。たとえば政治家でいうと当時の石原慎太郎さんは男性的、美濃部さんは女性的というふうであった。相場さんはこれから世間は女性的になるがそれだけに男性的なものとの均衡が大切であると結論づけている。

 私は地方議員をしていたが、この発想から保育園を保母さんだけでなく男性の保父さんの必要として議会で主張し実現した。男性要素の導入である。

—故三島さんの鋭い指摘—

 今月の月刊誌「新潮」に故三島さんの未公開の文書が掲載されている。相場教授の著書とほぼ同時期のものである。そこで三島さんは当時の学生運動の高まりを、女性的世間・社会への男性的力強さを求める反動であると捉えている。三島さんの1970年の自裁などの批判はともかく、社会実態の透徹した視点は核心をついている。世間が抵抗をすべて軟弱に受け入れることによって、学生運動の加虐的な行動の惹起を問題としているのだ。現代でいえばいわゆる週刊誌などでの体毛表出の写真の自由や学校への父兄の苦情、会社などでの洪水にそれがみえる。

—抵抗のない世間・社会への不安—

 このように固まりきらない豆腐に腕を突っ込むようなすべてに寛容で批判のなさには、ますます気儘な行為が拡張していくのだ。その対応に社会は疲弊しきるのである。これからますますこの傾向は広がってくる。身近なところでの麻薬の流行、陰湿な小暴力(いじめ)、いやがらせ、組織的な詐欺などはすでにその潮流の現れである。世間・社会に正しい意味での男性的要素を、具体的には正邪、公私、美醜、正統と異端などの区別を取り入れていく時ではないだろうか。それには大きく強い勇気が求められる。私たちが、今まで自由をはき違えた放任がまかり通ってきた報いでもある。気づいた人から実践していこうではないか。

2019年4月27日 記