2019年6月7日掲載

人を追い詰める危険な風潮

—テレビを通じて安直な主張—

 5月28日の川崎市多摩区の児童ら20人が殺傷された事件。誰もが心を痛め犯人を憎む事件である。その日の午後のこと、テレビはこれを取り上げた。女性キャスターは「一人で生命を絶てば済むことじゃないですか」と言い、出席した弁護士も「死にたいなら一人で死ねよ、と言いたくなりますよね」と同調した。別の番組でもある落語家は「死にたいなら一人で死んでくれよ、ってそういう人は」とコメントしている。以上は東京新聞の6月3日に報道された記事である。20人もが殺傷された事件であるから、犯人に対する思いは誰でも怒りを含んでいる。しかし一足飛びに「死ぬなら一人で」と短絡できる神経はどうだろう。

—いまこそ世論より輿論—

 感情は先の発言者のとおりである。しかし数日経ったのちに考えても同じ意見だろうか。まして数百万人が視聴しているテレビで「犯人は一人で死ねばよかった」という発言の影響を考えなかったのだろうか。私も勿論被害者、その家族、関係者の身になって犯人に対する憎悪の感情を持った。だが一人で死ね、というつきつめた気持ちにはならなかった。

 犯罪被害者救援の運動もしてきた。被害者の関係者の声も聴いてきた。しかし憎悪では解決しないことを学んできた。生命にかかわる問題は決して感情で扱うべきではない。冷静な判断こそ大切だ。咄嗟の感情判断より時間を置いた判断といえば、私の言う世論より輿論という思考方法である。

—かつてのマクルーハン理論の言い分—

 テレビが登場してしばらくして、マクルーハンという近未来学者の著作が書店に並んだ。竹村健一が紹介した。それは、テレビは感情伝達の道具となる、という短所を長所とともに指摘していた。女性キャスターなどの事件への反応はマクルーハンの予言通りとなった。

 児童など多人数を殺傷して自殺した今回の事件を「一人で死ね」と言い切る断定は、加害者の個人、社会的背景を配慮しない危険性がある。このような事件を起こさせないためには教育、相談、医療、家族、地域との関わりを強めていくことが必要である。50年ちかくたってマクルーハン理論が証明されたことになる。

2019年6月5日 記