2019年6月25日掲載

今の世相がこれからの世代に与える悪影響

 多感な少年時代に見聞きしたことの影響は、義務教育を持ち出すまでもなく重要である。最近改めて痛感する。

 弱いものをいじめるヤクザに対し、同じヤクザでも清水の次郎長は、強いヤクザのわがまま非人道を正す。鞍馬天狗は傍若無人に描かれる新選組を打ち負かす。漫画、映画を問わず勧善懲悪物語がいつでも目の前にあった。貧しいながら健康な「おらあ三太だ」を学校で観に行った。こんな体験がずいぶんと私の怠慢を戒め、正義の心を養ってくれたと思う。机の前にすわらなくとも教育は受けられるのだ。

—笑わせることの落とし穴—

 情報機関、テレビや雑誌、ラジオなどはお笑い芸人といわれる人間の天下となった。もともとは、芸人とは芸能を見せて人をたのしませ、お金を得る人だ。長年の修養で身につけた芸を見せるまでには大変な苦労もあるだろう。歌舞伎、能、舞踊などである。だが人に笑われて収入を得るお笑い芸人なる新しい分野がこのごろ一般的になった。古い例でいえば「太鼓持ち」だ。ご無理ごもっともの世界である。ご機嫌伺の仕事だから、自分を実物以下に演出して、他人に優越感を持ってもらう。いわゆるイジメられることを仕事とする芸人がほとんどだ。熱湯につかる所を見せる、何種類かの料理を時間内にどれだけ食べられるかを競う、笑われることなら品格など論外の場面がテレビなどでは頻発している。視聴者は自分ならやらない行為を愚行を楽しんでいる。楽しむ前に公の情報として不適格であるという批判で止めさせる良識が世間になければならない。自然に頬がゆるむ笑いとは違い、人を軽蔑して見世物のようにする笑いは差別の笑いである。青少年が好んでお笑い芸人を希望し、その人々を集める企業がテレビなどと連携して成長している。

—これからの青少年へ与える恐ろしい影響は—

 冒頭に書いた私の経験のように、今の青少年が受けている情報の影響は、成長してから必ず出てくる。そこには正義感、我慢などよりも、人を冷笑し、さげすんで喜ぶ人間があたりまえとなる時代が透けて見える。

 今日6月24日のニュースで、吉本興業所は、所属するお笑いタレントが反社会組織とつきあいのあったとする10数名を公表し、お詫びの表明をしている。芸能界にも色々あろうが、お笑い芸人が果たす社会的役割もしっかりと検討する時である。笑って済ませる問題ではない。

2019年6月24日 記