2019年7月3日掲載

大衆迎合社会の愚かさ2
ツイッターは公私混同の迷惑機器?!

—指先、直線の反応—

 しばらく前から政治、経済をふくめ指導者がツイッターを使用するようになった。ツイートとは英語で「呟く」ことである。文字数は限られるが、自分のパソコンから送受信できる便利さが売り物。いまは大統領も多用する。トランプだ。むしろ彼は従来の記者会見を避けるのにこれを利用している。戦略なのだ。記者会見するとロシアの大統領選の関与、娘婿の越権行為など重要課題を質問される危険がある。それを避ける意味もある。

—即断の危険、軽はずみな意思表示—

 小言は一晩たってから、苦言は十数えてからとはよく言ったものだ。人は感情の動物、いつも冷静であるのは不可能だ。そこでしばし時間をかけて、冷却時間を置く。そこから出た知恵が一晩たってからだ。しかしツイッターにはそれが出来ない。速さを優先させろという脅迫観念がツイッターを普及させた。

 ツイッターでもメールでも即時性を優先させれば無責任な反応になる。情報を小出しにして世論の反応を見ながらじぶんの本心を徐々に打ち出していこうとする。行き違いは当然のこととなる。トランプ大統領のように自分の不利を隠すために利用するのはそれなりに戦術として受け止め、それを見抜いて対応すればよい。彼の人間性のお粗末さを米国民、国際社会がはやく理解して離職させることだ。彼の粗暴なアメリカ第1主義によって、アメリカはかつての西部劇の強者優先のカウボーイの時代にもどされてしまった。複雑なことに力志向は人間の教養や宗教でも抑えきれない情念なのだ。トランプ大統領はここに火をつけた。だから米国でも支持する国民がいるのだ。強者が弱者に配慮するという民主主義の哲学は失われた。

—日本国憲法の精神を今こそ—

 憲法前文にあるとおり世界の平和を希求すうために、争いを起こさない原則を再確認しなければならない。そのためには安倍政権の憲法改正の計画を許さないことだ。ツイッターの個人であったり、公人であったりする曖昧な手法ではなく議会や委員会、記者会見など複数の考え方をもつ人々の前で政治方向を語る方式に戻す必要がある。

2019年6月30日 記