2019年7月4日掲載

芸能界の胡散臭さを見る

—露伴の『一国の首都』での指摘—

 このホームページに先日も書いた吉本興業の所属芸人の詐欺集団との交流問題は、氷山の一角である。もともと吉本興業そのものにもヤクザとのつながりを問題とされたことがある。その時の処理がどうされたのかはわからない。また吉本興業も明らかにしていない。

 芸人と非合法組織は日本の土地、地面とのかかわりである。なんの権利もないのに、芸人が興行の小屋を建てる時に了解をもらわなければ「縄張り」を無視したといって嫌がらせをされる。「縄張り」すなわち土地に家をたてるときに間取りの糸を張ることが、ヤクザの権利であり、了解が必要だという理屈である。これはいまでも風俗店、飲食店は禁止されていても潜行している。先ごろ東京都は「みかじめ料」なる非合法な資金供出に応じた業者を罰するとした。

—露伴の知恵と指摘—

 私が現代語訳した『一国の首都』(幸田露伴著、はる書房)では、街つくりには風俗を隔離すべきとしている。すなわち当時あった遊郭は東京の場合、吉原などの一定の場所をかこって営業させる、というものである。彼は遊郭など風俗店は必要悪と見ていた節がある。またよからぬ流行は風俗の世界から流行(はや)るともいっている。服装、言葉使い、生活ぶりは普通のあり様が崩れた方向に向かうきっかけを風俗界が誘導するとみていた。

 どうだろう現在の私たちの生活の多くは芸人、芸能界に引っ張られている嫌いはないだろうか。名の知られた芸能人の使った惹句が珍しさで流行る。

—芸能界の胡散臭さを知る—

 平常な生活とずれていることを行う職業が芸能人である。普通は朝から夕方まで働いて生活するのが私たちである。芸能人はその普通の生活をする人々が休息する時間に働いて芸を売っている仕事である。したがって普通の感覚をもつほうがおかしい。そこで普通でないヤクザとつながるきっかけがある。落語家が「枕ことば」で「えーー毎度バカバカしいお笑いで…」というのは卑下して取り入ろうとする前回ふれた「太鼓持ち」そのものである。かつて芸人たちはこのように自分の立場を自覚して、社会の主流ではないことを武器に謙虚に存在していた。

—芸能界と日常は違う—

 よく言われる出雲阿国から始まる芸を売る仕事は、その出発から社会の仕組みと深く関係していた。芸能と風俗については別に書く機会があるのでその時にゆずる。

 さて、芸能界とヤクザなど反社会組織の関係を今日風に整理しておかなければならない。今、情報社会。情報社会といえばテレビ、雑誌、新聞、パソコンなどが発信源である。テレビを例にあげれば、テレビは広告料で成り立っていてそれは視聴率が支える。この循環が芸能界を肥大化させてきた。いま町に子どもを対象としたダンス教室、演劇組織(塾)がよく見られる。こどもをそこに送り込む親、家庭があるということだ。

—話題にのぼり知られることが至上命題の異常さ—

 普通、すなわち中庸をよしとする考えは今はない。変わった今までと異なるやり方、生き方をよしとする。これまでを打ち破ることが、善、続けることは悪という風潮である。

 均衡のとれた生き方は流行らない。尋常でない変わったやり方、生き方でないと、情報機関や他人が注目しないからである。名が知れるというのにも、有名なという他に、悪名高いというのもある。テレビに取り上げられた店、と言って宣伝する飲食店。それを見てまた客も来る。噂で世の中が動く。そこに自分はない。他人の価値判断や宣伝で動かされている。

 もう話題はいい。自分はどう思い、考え、行動するか、である。他人の噂、他人の思惑に振り回される自分。頑固とまではいわないまでも、正義、倫理、金銭観、人権観、世界観は他人に頼らずに自分で作り上げ、持つべきである。流行りを作って生きている芸能界、情報界を活用する側の自分をつくる。利用される側はとてもみじめである。

2019年6月30日 記