2019年7月8日掲載
言葉の乱れは世の乱れ
—ひたすら新奇、奇抜を表現—
最近気にかかることの一つは情報機関—ラジオ、テレビ—の言葉が乱暴に使われていることだ。
ウォーッ、スゴォーイといった感嘆詞を乱発したり、乱暴な攻撃的な口調を使ってコメント(解説)したり抑えが効かない状態を見聞する。せめて司会者が丁寧語で補うのであればよいが、同調してしまっている。となると漫才のかけあいになる。
—おふざけの時間つぶし—
NHKは国、民放はスポンサーというそれぞれの金主に首根っこを押さえつけられている。金主は伝えることが話題になり歓心をを引き、商品が売れるように金を出している。本来なら金主が常識的な番組を要求出来る力関係にあるが、金主は世に媚びてすなわち客に阿ねる。客すなわち視聴者は娯楽それも茶化したり、笑いを作る番組で一時の快楽を味わう。ここにいじめたり、いじめられる状況をつくり世論が麻痺していく動機がある。教養や判断力を養う要素は何もない。ひたすら奇抜さと新奇さでラジオ、テレビは番組がつくられている。そこに芸人が入り込む昨今、問題となる原因がある。奇抜さ、新奇さと言葉の乱れは一致する。
スイッチを切る切らないは視聴者。時間つぶしにラジオ、テレビに縛られるよりも、自分で外気を吸いに出たり、図書館にいったり自分と対話することのほうが高尚な日常だと思って自分作りをしたいものだ。
言葉使いに厳しいNHKもこのごろはテレビでの様子がおかしくなりつつある。
—フランスの例は—
言葉は文化であり、一国の品格につながる。わが国の尊敬語、謙譲語の遣い分けは外国にはなく、人間関係の機微を表現できる。子どもの頃、フランス人は英語などを話せても、外国人にはフランス語しか話さないと聞いたことがある。言葉を大切にする逸話であろうが、歴史、文化を大切にする国民だと思った。国の厚みを感じた。今の日本はどうだろうか。
2019年7月5日 記