2019年7月16日掲載

他人のせいにする、責任放棄は当たり前?

—生き方の知恵—

 NHKテレビで女子高生がSNSをつかって自分の裸の映像を見知らぬ男におくったが拡げられて困った事例をあげ、その防ぎ方を放映すると予告している。世も末となったと思うのは私だけだろうか。それだけ被害が増えているわけだ。SNSを利用するのも自分の判断でおこなったこと。その結果の処理をNHKがとりあげるというのだ。おかしいと私は思う。かつて二人の娘が電車を使って小、中学校へ通学していたころ、知らない人から声をかけられても、話をして変な感じがしたら無視してかえってくることを徹底していた。躾であった。まっすぐ前をみて速足であるく、隙(すき)のない態度もそうだ。それが子を持つ親の子どもへの当たり前の注意である。夏なら肌の露出を少なくする。

—自分から裸を他人に見せる神経—

 NHKの件はそれもこれも携帯電話を持たなければ済んだこと。便利さの陰にある不都合である。かつて「男はみんな狼よ」という流行歌が流行った。過剰表現ではあるが、男を長年生きてきて真理をついていると思う。自分の身の内にそれがあるのを知れば、自分の娘に男のもう一面を注意するのは当たり前だ。

 自業自得とまではいわない。だが世の中に、誘い、誘惑がいつもあることを親は教えるべきだし娘も素直に受け入れるべきである。

 親も子へ厳しい態度をとることによる反発や跳ね返りを気にして注意をしない。その結果の騒ぎである。

 自分の裸をなぜ他人に送らなければならないのか、SNSなるものをやらない私には合点がいかない。この神経こそ現代風というのだろう。

—便利さの先にある闇—

 SNSを要求してきた男はヤクザ社会の人間とは言えないまでも、人の情報をいたずらに操作しようとしたに違いない。それを恐いと思う気持ちがあったら、便利を使い分ける良識が身につくまでSNSに近づかないことだ。人は人。どんなにSNSがはやっても自分はやらない。「一寸さきは闇」にするかしないかは自分の判断である。わが国の甘えの風潮は行きつくところまできた。

2019年7月13日 記