2019年7月17日掲載

まだ知的組織でもペットボトルを使用している

—「隗(かい)より始めよ」は気づいたら—

 海洋生物の体内から微小プラスチックが検出され環境汚染が問題となっている。私たちが自動販売機を中心にペットボトルを利用し始めたのは40年くらい前だろうか。使い捨ての高度経済の証であった。歩きながら手に持って飲むのを格好よくテレビは宣伝した。そして路上や塀の上に空いたもの、あるいは飲みかけの物を放置する風景が日常となった。自然界の警告を私たちはもとより、ペットボトルを生産する企業が方向転換して生き残りを図らなければならない局面だ。

—有言不実行は人の常—

 だが一向にペットボトルから卒業の運動は起こらない。すっかり生活に組み込まれているので、自粛、廃止など毛頭考えていないようだ。先日、幼稚園から大学院まである学園の会議に出席した。そこにも当然のように机上にペットボトルが鎮座していた。人類と自然の関わりを学習することも教育機関の大きな役割であろう。しかしそこでも旧態依然である。気づいて覚悟したらすぐに実行する。その機敏さが人類の今日の基礎になっている。今の便利さに溺れ、明日の責任を忘れているのが現状だ。周りはどうでもよい。自分は気づいたら、実行。そんな生き方の積み重ねが人間をつくっていくと思いたい。象印魔法瓶は社内のペットボトル使用を禁止したという。自分の欲と道連れでもよい。この判断、実行は是としたい。先の会議に勿論、私は自家製のお茶を持参し、ペットボトルには手を付けずに帰宅した。

2019年7月15日 記