2019年9月25日掲載

秋篠宮家にみる皇室の日常化

 私の感じていることだけ印象として書く。

 秋篠宮家にまつわる報道が目立ってきているように思う。お嬢様の結納の延期、ご長男のブータン出張、お嬢様の外国との修交記念行事出席などである。要するに報道されなければ知りえないことであるが、情報管理する宮内庁が発表しているからである。

 開かれた皇室という点では好ましいといえよう。ただ気にかかる点もある。

—日常と非日常のはざま—

 自分の娘の結納までに不備や不都合がないか、なぜ秋篠宮家は気がつかなかったのか。まったく普通の家で生じる不用意な事の進行である。俗に言う脇の甘い姿勢だ。しっかりとした情報管理が出来ていると思った皇室が、とんだ失態である。未だに解決せずに週刊誌などの好餌となっている。その他未婚の成人したお嬢様たちの行状が興味本位で報じられる。

 私は皇室の日常にそれほど関心は無い。できれば静かに文化、芸術、芸能、学識の研究をすすめていただければいいと思っている。

 時折お考えを示されればよい。非日常の生活がなければ皇室ではないからだ。ただ憲法で保障される人権を発揮する日常もなければならない。この兼ね合いが個性となってくる。

—上皇ご夫妻、今上天皇ご夫妻のお姿—

 今上天皇ご夫妻もいらぬ報道があり、心情もあったでしょうが、いまはご家族お揃いで過ごされているようだ。大河を静かに流れていく舟のようである。その穏やかさが皇室の姿であろう。失礼ながら芸能人のように、カメラ、人目を意識して動き回ることは皇室として好ましくない。時に触れ発言し、お姿を示すことでわが国の天皇、皇室の姿はわが国独自の文化のありようとして国民に国際人に自然に映ると思う。

2019年9月21日 記